惑させる神には限らない様である。此点が明らかでないと、人形は、触穢《ソクヱ》の観念から出たものとばかり考へられさうである。
人形を恐れる地方は今もある。畏敬と触穢と両方から来る感情が、まだ辺鄙には残つて居るのである。文楽座などの、人形を舞はす芸人が、人形に対して生き物の様な感触のあるものと感じて居るのは事実である。沖縄本島に念仏者《ニンブチヤア》と言ふ、平民以下に見られてゐる人々が居る。春は胸に懸けた小さな箱――てら[#「てら」に傍線]と言ふ。社殿・寺院・辻堂の類を籠めて言ふ語《ことば》。人形の舞台を神聖な神事の場と見るのである――の中で、人形を舞はしながら、京太郎《チヤンダラ》と言ふ日本《ヤマト》人に関した物語を謡うて、島中を廻つたものである。其人形は久しく使はぬ為に、四肢のわかれも知れぬ程になつたが、非常にとり扱ひに怖ぢてゐた。此人形に不思議な事が度々あつたと言ふ。
人形が古代になかつたと言ふ様な、漠とした気分を起させる原因は、其最初の製作と演技が、聖徳太子・秦《ハタ》[#(ノ)]河勝《カハカツ》に附会せられて居る為である。仮面は殊に、外国伝来以後の物の様な感じが深いが、此とて日本民族の移動した道筋を考へれば、必しも舞楽の面や、練供養の仏・菩薩の仮面以前になかつたものだと言はれまい。唯、此方の、技術家なる面作《オモテツク》りは、寺々に属してゐて、神人の臨時に製作したやうなものは、彼らの技巧の影響を受けたり、保存の出来る木面の彫刻を依頼したりなどした為、固有の仮面の様式などは知れなくなつて了ひ、仮面の神道儀式に使はれた事まで、忘れきつたものと見る方が適当であらう。
仮面は、人間の扮して居る神だと言ふ事を考へさせない為だから、非常な秘密でもあつたらうし、使うた後で、人の目に触れる事を案じて、其相応の処分をした事であらうから、普通の人には、仮面といふ考へが明らかでなかつたであらう。其上、土地によつては、村人某が扮したのだと云ふ事が訣らねばよいと言ふ考へから、植物類の広葉で顔を掩ふと言ふ風な物があつた事は、近世にも見える。だから、仮面もあり、仮面劇も行はれたのに違ひないが、今の処まだ、想像を離れる事が出来ない。
[#ここから1字下げ]
柳亭種彦の読み本「浅間个嶽俤草紙」の挿絵の中に、親のない処女の家へ、村の悪者たちが、年越しの夜、社に掛けた色々の面を著けておし込んで、家財を持ち出す処が描いてある。年越しの夜に、仮面を著けた人が訪問すると言ふ形は、必民間伝承から得たものに違ひない。
[#ここで字下げ終わり]
面には、かづく[#「かづく」に傍線]或はかぶる[#「かぶる」に傍線]と言ふ語が、用語例になつて居るのは、古代の面が頭上から顔を掩うて居た事を示して居る。
能楽で見ても、面をつけるのは、神・精霊の外は女である。女は大抵の場合、神憑きと一つものと思はれる狂女である。能役者が、直面《ヒタオモテ》では女がつとめられないと言ふ理由の外に、神のよりまし[#「よりまし」に傍線]なる為に同格に扱うたと考へる事が出来るかも知れぬ。太子と能楽との伝説を離れて、静かに考へて見ると、翁などの原型として、簡単な仮面に頭を包んだ田遊び[#「田遊び」に傍線]の舞ひぶりが、空想せられるのである。当麻寺の菩薩|練道《レンダウ》の如きも、在来の神祭りに降臨する神々の仮面姿が、裏打ちになつて居るのではあるまいか。
古事記に残つて居る文章のなかで、叙事詩の姿を留めたものを択りわけて見ると、抒情部分のうた[#「うた」に傍線]ばかりでなく、其中に叙事部分のかたり[#「かたり」に傍線]に属するものも見出される。叙事部は地の文である。地の文の発生は、第一歩にはないはずだ。必《かならず》形は一人称で、而も内容は三人称風のものである。其が、明らかに地の文の意義を展いて来るのは、下地に劇的発表の要求があるのである。此事は様式論として、詳しく書く機会があらう。
かくて、偶人劇の存在した事は信じてよい。併し、どの程度まで、身体表出をうつし出したか。どの位の広さに亘つて、村々の祭りに使はれたか。すべては疑問である。遥かな国から来る神と、地物の精霊と二つ乍ら、偶人を以て現したか。其も知れない。後世の材料から見れば、才の男[#「才の男」に傍線]は地物の精霊らしく見える。併し此事に就ては、呪言の展開に書いて置いた。其上、人と人形との混合演技もなかつたとは言へぬ様である。
偶人の神事演劇には単純な舞ばかりのもあつたゞらう。叙事詩に現れた神の来歴を、毎年くり返しもしたであらう。要するに神事演劇は、人・人形に拘らず、演技者はすべてからだの表出ばかりで、抒情部分・叙事部分の悉くが、脇から人の附けたものである。
後世の祭礼の人形の、唯ぢつとして、動かない様なものでは無かつたであらう。「才の男の態」を行ふ
前へ
次へ
全17ページ中15ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング