らう。本貫を離れない事の苦しみは、まだ此ばかりではなかつた。
村々の部曲の中で、保護者を失つても、自活の出来るのは、主として手職をうけ襲《つ》いだ家である。其以外の者のみじめさは、察しるに十分だ。時勢と保護とから第一にふり落されるのは、神人階級の部曲である。
亡命を、一二人又は一家の上にばかりある事と考へるのは、近世の事情に馴れ過ぎたのだ。戦国以前までは、尠くとも新知を開発する為に、と言ふ名で、沢山の家族団体を引き連れて数百里離れた地へ、本貫を棄てゝ移つた家々は、数へきれない。信仰の代りに、武力を携へて歩いたうかれびと[#「うかれびと」に傍線]に過ぎないのである。此新うかれびと[#「うかれびと」に傍線]は庸兵軍として、道々の豪族に手を貸しもした。運よく行つたのは大名となり、あまり伸びなかつた者は、豪族の下に客人格の御家人となり、又非御家人・郷士と窄まつて了うたりした。我国の戸籍の歴史の上で、今一度考へ直さねばならぬのは、団体亡命に関する件である。住みよい処を求める旅から、終には旅其事に生活の方便が開けて来て、巡遊が一つの生活様式となつて了ふ。彼等の持つて居る信仰が力を失うても、更に芸能が時代の興味から逸れない間、彼等の職業が一分化を遂げきる迄の間は、流民として漂《ウカ》れ歩いたのである。
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近世芸術は、殆ど柄傘《カラカサ》の下から発達したと言うてもよい位、音曲・演劇・舞踊に大事の役目をして居る。売女に翳《かざ》しかけた物も、僣上して貴人や、支那の風俗をまねたものではあるまい。足柄山で上総前司の一行に芸能を見せたうかれ女[#「うかれ女」に傍線]は、大傘を立てた下に座を構へた(更級日記)。大鏡に見えた「田舞」も、田の中に竪てた傘を中心にした様である。此二つは、平安朝末のやゝ古い処である。其以後は、田楽を著しいものとして、民衆芸能に傘の出て来ないものは尠かつたと言ふ事も出来よう。傘の下は、神事に預る主な者の居る場所である。大陸風渡来以前から倭宮廷にあつた風で、神聖感を表現もし、保護もしたものなのである。うかれ女[#「うかれ女」に傍線]系統の楽器らしい簓《サヽラ》と言ふ物も、形は後世可なり変化したであらうが、実は万葉人の時代からあつたものと言ふ推測がついて居る。此等の事は、力強い証拠とは出来ぬかも知れぬが、異風と見られる点も、実は定住人とさしたる違ひのなかつた事を見せて居るのではなからうか。
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唯一点、人形については、近世の神道学者の注意が向いて居ないばかりか、古代日本の純粋な生産と考へない癖がついて居る様だから、話頭を触れておかねばならぬ気がする。
二 くゞつ[#「くゞつ」に傍線]以前の偶人劇
浮浪民なるくゞつ[#「くゞつ」に傍線]の民の女が、人形を舞はした事は、平安朝中期に文献がある。其盛んに見えたのは、真に突如として、室町の頃からである。此時代を史家は、戦争と武人跋扈との暗黒時代ときはめをつけて居るが、書き物だけでは、実際、江戸の平民の文明を暗示する豊かな力の充ち満ちた時代である。上層・中層の文明のをどみ[#「をどみ」に傍線]に倦んで、地下《ヂゲ》の一番下積みになつて居た物の、顧みかけられた世間であつた。此以前にも、偶人劇が所々方々に下級神人や、くゞつ[#「くゞつ」に傍線]の手で行はれて居た事が察せられる。新式であつた為、都人士に歓ばれた偶人劇の団体が、摂津広田の西の宮を中心とするものであつたらう。が、恐らく、此を人形芝居の元祖と見る事は出来ぬ。此側の伝へでは、淡路人形を重く見て居る。併し、西の宮が海に関係深い点から観るべきで、此神の勢力の下にあつた対岸の淡路の島人から、優れた上手が出たのも、尤《もつとも》である。室町になると、段々、男の人形を使ふ者の勢力が出て来るが、西の宮系統の偶人劇は元、女殊に遊女の手に習練を積まれたものであらう。淀川と其支流の舟着きに、定居生活をし始めて居た遊女は西の宮と関係が深かつた。西の宮信仰が関西に弘まつたのは、うかれ人[#「うかれ人」に傍線]の唱導が元らしい。うかれ人[#「うかれ人」に傍線]が、ほかひ[#「ほかひ」に傍線]の古風な神訪問の形式を行うたのだらう。えびすかき[#「えびすかき」に傍線]と言うた人形舞はしは、此古い単純な形を後世に残したのであつた。
大正の初年までも、面を被つて「西の宮からえびす様[#「えびす様」に傍線]がお礼に来ました」と唱へて門毎に踊つた乞食も、此流れである。「大黒舞」も又えびすかき[#「えびすかき」に傍線]の偶人に対する、神に扮した人の身ぶり芝居の一つであつた事が知れる。遅れて出た「大黒舞」が、元禄以前既に、ほかひ[#「ほかひ」に傍線]以外の領分を拡げて、舞ひぶりの単純なわりには、歌詞がやゝ複雑な叙事に傾いて
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