れぬ様になつてゐるのだから、仮りにこゝを足場として、推論を進めて行つて見る事も出来よう。ほかひゞと[#「ほかひゞと」に傍線]は寿詞を唱へて室《ムロ》や殿のほかひ[#「ほかひ」に傍線]などした神事の職業化し、内容が分化し、芸道化したものを持つて廻つた。最《もつとも》古い旅芸人、門づけ芸者であると言ふ事は、語原から推して、誤りない想像と思ふ。
さうすれば、ほかひゞと[#「ほかひゞと」に傍線]の持つて歩いた詞曲は、創作物であるかと言ふ疑ひが起る。寿詞が次第に壊れて、外の要素をとり込み、段々叙事詩化して行つて、人の目や耳を娯《たのし》ませる真意義の工夫が、自然の間に変化を急にしたであらう。此までの学者の信じなかつた事で、演劇史の上に是非加へなければならぬのは人形のあつた事である。其に、叙事詩にあはせて舞ふ舞踊のあつた事である。此事は後に言ふ機会がある。
此歌は、其内容から見ても、身ぶり[#「身ぶり」に傍線]が伴うて居てこそ、意義があると思はれる部分が多い。「鹿の歌」は、鹿がお辞儀する様な頸の上げ下げ、跳ね廻る軽々しい動作を演じる様に出来て居る。「蟹の歌」も、其横這ひする姿や、泡を吐き、目を動すと言つた挙動が、目に浮ぶ様に出来て居る。其身ぶり[#「身ぶり」に傍線]を人がしたか、人形で示したかは訣らない。舞踊の古代の人に喜ばれた点は、身ぶり[#「身ぶり」に傍線]が主なものである。事実、其痕は十分見えて居る。此が神事の演劇と複雑に結びついて、物まね[#「物まね」に傍線]で人を笑はせようと言ふ方へ、益《ますます》傾いて行つた。猿楽も、歌舞妓芝居も、其名自身、人間の醜態や、見馴れた動物の異様な動作の物まね[#「物まね」に傍線]・身ぶり[#「身ぶり」に傍線]であることを見せて居る。
想像が許されゝば、私は此歌にかう註釈したい。鹿は山地、蟹は水辺の農村にとつて、恐しい敵である。鹿は勿論、蟹に喰はれ、爪きられて、稲の荒される事は、祖先以来経て来た苦い経験である。農作予祝の穀言《ヨゴト》が、風や水に関係した文句を持つて居たらうと思はれる事は、後に出来た祝詞から想像がつく。併し、動物の害事を言うては居ない。けれども、宮廷から国々の社に伝達せられた祝詞の外に、社に伝来した土地の事情に適切な呪言があつた事は疑ひもない。鳥獣や虫類を脅かして、退散させようとする呪言もあつた事と思ふ。
ほかひ[#「ほかひ」に傍線]の様式が分化して芸道化しかけた時、其等の動物を苦しめる風の文句が強く表され、動作にも其を演じて見せる様になり、更に其が降服して、人間の為に身を捧げる事を光栄とすると言つた表現を、詞にも、身ぶり[#「身ぶり」に傍線]にも出して来るとすると、此歌の出来た元の意義は納得出来る。此歌の形式側の話は、後にしたい。
三 当てぶりの舞
呪言の効果を強める為に、呪言を唱へる間に、精霊をかぶれさせ、或はおどす様な動作をする。田楽・猿楽にすら、とつぎ[#「とつぎ」に傍線]の様を実演した俤は残つて居る。此は精霊がかまけて、生産の豊かになる事を思ふのである。精霊をいぢめ懲す様も行はれたに違ひない。此が身ぶり[#「身ぶり」に傍線]の、神事に深い関係を持つ様になる一つの理由である。而も、神事の傾向として、祭式を舞踊化し、演劇化する所から、身ぶり舞[#「身ぶり舞」に傍線]をつくり上げたのである。
隼人のわざをぎ[#「わざをぎ」に傍線]は、叙事詩の起原説明には、単に説明に過ぎなからうが、舞踊化の程度の尠いものと察せられる、水に溺れる人の身ぶり[#「身ぶり」に傍線]・物まね[#「物まね」に傍線]である。
殊舞(たつゝまひ)は起ちつ居つして舞ふからの名だ、と言ふ事になつて居るが、王朝以後|屡《しばしば》民間に行はれた「侏儒舞《ヒキウドマヒ》」の古いものを、字格を書き違へて伝へ、たつゝ[#「たつゝ」に傍線]なる古語を名として居た為に、訣らなくなつたのであらう。此舞を舞うたのは弘計[#(ノ)]王で、度々言うて来た縮見《シヾミ》の室ほぎ[#「室ほぎ」に傍線]の時であつたのも、家の精霊を小人と考へて居た平安朝頃の観念を、溯らして見る事が出来れば、説明はうまくつく。
鳥名子《トナゴ》舞は、伊勢神宮で久しい伝統を称してゐるものである。普通ひよ/\舞[#「ひよ/\舞」に傍線]と言うた上に、鶏の雛の姿を模する舞だと言ふから、やはりあの跛の走る様なからだつき[#「からだつき」に傍線]の身ぶりなのだ。
鹿や蟹のをこ[#「をこ」に傍点]めいた動作をまねる人か人形かの身ぶりが、寿詞系統のほかひゞと[#「ほかひゞと」に傍線]の謡について居なかつたとは言はれないのである。
四 ほかひゞと[#「ほかひゞと」に傍線]の遺物
ほかひゞと[#「ほかひゞと」に傍線]の後世に残したものは、由緒ある名称
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