。現世の苦悩を離れて行く輝かしさを書いたのは、世話物が讃仏乗の理想に叶ひ難いといふ案じからであらう。だが後になる程、陰惨な場合も、わりに平気で書いてゐる。此人の文学観が、変つて来たのである。
さて、説経には三つの主体があつた。大寺の説経師・寺の奴隷階級の半俗僧、今一つは琵琶弾きの盲僧である。そして江戸の説経節へ直ぐな筋を引くものは、最後のものであるが、此を最広く撒布して歩いたのは、童子聖の徒であつて、隠れてはゐるが、芸術的には大きな為事をしてゐる。あみいば[#「あみいば」に傍線]としての努力を積んで、江戸の浄瑠璃の起つて来る地盤を築きあげて居たわけである。
日本文学の一つの癖は、改作を重ねると言ふ事である。私は源氏物語さへも「紫の物語」と言つた、巫女などの唱導らしいものゝ、書き替へから始つたのだと考へてゐる。「うつぼ」などは、鎌倉の物には相違ないが、でも全然偽作ではなく、改作をしながら、書きついで行つたものであらう。住吉物語も信ぜられて居ないが、源氏物語で見れば、ある点、今の住吉物語の筋通りである。さすれば、やはり改作と見る外はない。落窪物語なども、改作によつて平安朝の特色を失うた処もあり、文法も時代にあはなくなつて了うたらしく、偽作ではなくて、やはり書き継ぎ書き加へたものである。こんな風で、説経も其正本が出るまでには、幾度口頭の変改を重ねて来てゐるか知れないのである。


[#3字下げ]戯曲・舞踊詞曲の見渡し[#「戯曲・舞踊詞曲の見渡し」は大見出し]

[#5字下げ]一[#「一」は中見出し]

歌舞妓芝居は、只今ですら、実はまだ、神事芸から離れきつてゐないのである。其発生は既に述べた如くで、久しく地表に現れなかつたからとて、能楽よりも後の発生であり、能楽の変形だなどゝ考へてはならぬ。
江戸の歌舞妓の本筋は、まづ幸若舞で、上方のものは念仏踊りを基礎とした浮世物まね[#「浮世物まね」に傍線]や、組み踊り[#「組み踊り」に傍線]を混へてゐる。
豊臣時代頃から、画にも芝居にも、当世のはいから[#「はいから」に傍線]ぶりをうつす事が行はれて、芝居では殊に、美しい少人がはで[#「はで」に傍線]な異風をして練り歩くと言つた、一種の舞台の上のあるき[#「あるき」に傍線]が喜ばれた。
名護屋山三郎は、浪人でかぶき者[#「かぶき者」に傍線]であつた。其蒲生に仕へたのは、幸若舞などによ
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