彼方から波を照して奇魂・幸魂がより來つたと言ふのは、常世を魂の國と見たからである。
常世の國は、飛鳥の都の末頃には既に醇化して、多くの人々に考へられてゐた樣であるが、此には原住歸化漢人種の支那傳來の、海中仙山の幻影が重つて來て居る。藤原の都では、常世に蓬莱の要素を十分に持つて來て居る事が知れる。けれども、言語は時代の前後に拘らず、用語例の新舊を檢査して見る必要がある。新しい時代にも、土地と人格とによつては、古い意義を存してゐるのだ。
常夜往《トコヨユク》と言ふ古事記の用例は、まづ一番古い姿であらう。「とこよ[#「とこよ」に傍線]にも我が往かなくに」とある大伴[#(ノ)]坂上《サカノヘ》[#(ノ)]郎女の用法は、本居宣長によれば、黄泉の意となる。此は少し確かさが足らない。が、とこよ[#「とこよ」に傍線]を樂土とは見て居ないやうで、舊用語例に近よつて居る。常夜・常暗《トコヤミ》など言ふとこ[#「とこ」に傍線]は、永久よりも、恆常・不變・絶對などが、元に近い内容である。ゆく[#「ゆく」に傍線]は續行・不斷絶などの用語例を持つ語だから、絶對の闇のあり樣で日を經ると言ふことであらう。而も、記・紀
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