。だから、甚稀に賓客が來ることがあると、まれびと[#「まれびと」に傍線]を遇する方法を以てした。此が近世になつても、賓客の待遇が、神に對するとおなじであつた理由である。だが、かう言うては、眞實とは大分距離のある言ひ方になる。まれびと[#「まれびと」に傍線]が賓客化して來た爲、賓客に對して神迎への方式を用ゐるのだと言ふ方が正しいであらう。まれびと[#「まれびと」に傍線]として村内の貴人を迎へることが、段々意識化して來た爲に、そんな事が行はれたのだ。今までの敍述は、まれびと[#「まれびと」に傍線]の輪廓ばかりであつた。此からは其内容を細かに書いて見たい。
まれびと[#「まれびと」に傍線]の來る時期はいつか。私は定期のおとづれ[#「おとづれ」に傍線]を古く、臨時のおとなひ[#「おとなひ」に傍線]を新しいと見てゐる。不時に來臨するのは、天神或は地物の精靈の神としての資格が十分固定した後に、其等の神々の間にあつたことである。其がまれびと[#「まれびと」に傍線]の方に反映したものと思はれるから、まづ春の初めに來ると考へたであらう。まれびと[#「まれびと」に傍線]の來ることによつて年が改まり、村の生
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