のではない、言へない事はないのですけれど、改つた言ひ方をするのを恥ぢて、わざ/\言葉の形を枉げて使つてゐるのです。
横浜の港が盛んな時には――神戸あたりもさうですけれども、りんがふらんか[#「りんがふらんか」に傍線]と言つて聞き違へて使つたり、発音を間違へて使つたり、又、文字から来る誤りの言葉を使つたりする事がはやりました。兎に角、聞き違へて西洋人の言つた事を言つてゐるのですが、併し、聞き違へが余り沢山の人の耳を通してくると、かう言ふことはやめられないと言ふ、弱点もあるのですね。つまり、聞き違へが、国語に持ち来たされてくるのです。犬のことをかめ[#「かめ」に傍線]と言つたりしますが、これは誤解に定つてゐる。「カム」「カム」と言うて呼んでゐるのをかめ[#「かめ」に傍線]、かめ[#「かめ」に傍線]と聞いてかめ[#「かめ」に傍線]と言ふ名で洋犬を呼ぶんだと言ふやうになつた。さう言ふやうに思ひ違ひもあるけれども、又りもなあで[#「りもなあで」に傍線]をらむね[#「らむね」に傍線]と言ふ例もあります。りもなあで[#「りもなあで」に傍線]とらむね[#「らむね」に傍線]とでは文字で見るとよつぽど違ひますが、兎に角そんなうちにも、始め西洋人の言ふまゝをば、そのまゝ言ふ事を恥ぢる。威張つてゐる奴だ、生意気な奴だとか、小憎らしいと思はれるのが嫌だと思ふから、枉げて言ふ言葉と言ふものがあります。だから、存外人間と言ふものは、どんな無知識な人でも、言葉に対しては非常に細心の注意を払つてゐる事を、思はなければなりません。だから、国語教育の上に於いて、この言葉は東京で行はれてゐる言葉だから、この言葉は国定教科書に書いてある言葉だからいゝ、とやつてしまふのは考へ物です。もつと/\、さう言ふ苦労をば、何でもない人がやつてゐる事もあるのです。
何にしても、かう言ふ風に無茶苦茶に、無闇に、無反省に外国語を持込んで来る事は、いゝことではない。つまり、それは我々が作文を作る時を考へればいゝでせうね。英作文とか、外国の作文を作る時を考へて見ますと、一遍は必ず、日本文に訳してそれを又外国文に訳してゐる。それでは間にあはないでせう。だから、さう言ふ過程を経た会話なんと言ふものは役に立たない。しゆつ/\と出て来るものでなければなりません。併し、それは悪いけれども、同時に我々はこの外国語に対しては、やはりそれと同じ事をやつてゐる。英作文を作る時、又独作文を作る時に一つの形を拵へて見る。日本の文語を拵へる時のやうなそれと似た過程をば、外国語を使ふ時にも、取入れる時にもしてゐるんです。つまり、意味は訣らないけれども飜訳してゐる。近頃はやつてゐる言葉だつて、その言葉を辞書通りに或は西洋人が使つてゐる通りに使つてゐるのではない。自分の心に、飜訳した内容を持たしてその言葉を使つてゐる。だから、その我々が使つてゐる外国語と言ふものは、新しく日本語にだん/\なつてゐる。だから、外国語と言ふものに対しても、簡単にそいつはいけないと言ふ、単なる国粋的なものゝ言ひ方は出来ないですね。
ところが、この言語伝承のうちで、我々が考へなければならぬ態度が三つあります。つまり、時代的に見て行くか、地理的に見て行くかと言ふこと。まあ普通の考へは、この地理観察と時代観察です。時代観察をすると言ふ事は、言語史的、つまり、国語史的に見て行くと言ふ事です。地理観察と言へば、まあ方言風に見て行くと言ふ事になります。併し、それと同時に、階級を基礎として観て行くと言ふ見方があると存じます。
どうも私共の考へでは、尚幾度も考へ直さなければなりませんが、日本の様な国で階級と言うては、不適当かも知れませんけれども、兎に角、階級に似たものが幾つもあつて、それが各々お互ひに、その位置を認めてゐた。さう言ふ風に、位置を認め合つて居た歴史が古いのですから、先づ、階級的な観察と言ふものをば認めて、之を、この民間伝承に加へていゝと思ひます。言葉の場合もさうです。国語をば階級的に観察して見る。それはやはり歴史的になるんです。どの時代にどの階級が勢力を持つてをつたか、つまり、どの時代は、その時代のどの階級に依つて、舞台が廻されてをつたかと言ふ事です。これは政治ではありません。政治的に言ふと存外微力な階級で、従つてその実際生活の微力な階級が、つまり、言ひ換へますれば、実際生活に何の印象をも止めなかつた、止めずに済んだ階級が、その舞台を廻してゐたやうなことがあります。実際さう言ふ風に舞台を廻して居つた階級と言ふものがあるのですから、さう言ふ階級の伝承した全体の知識と言ふものは、必ず、その時代に大きな働きを与へてゐる。大きな影響を与へてゐる。だから、さう言ふ階級と言ふものを、よく観察して行つたらどうだらうか。かう言ふ風に思つてをります。これは国文学
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