生はくさふるふ[#「くさふるふ」に傍線]と言ふ言葉はくたぶれる[#「くたぶれる」に傍線]と言ふ言葉と同じ意味だと言つてをられます。どうもさうかも知れません。違ふと言ひかねる程、何か内容があるやうな説です。くたぶれる[#「くたぶれる」に傍線]、くたびれる[#「くたびれる」に傍線]と言ふ言葉は、くさふるふ[#「くさふるふ」に傍線]と言ふ言葉とは関係が深さうです。壱岐の島では瘧と言ふのは、ふるふ[#「ふるふ」に傍線]と言ふ事に主に言はれてゐるのだと思ひます。それに、先生の説明してゐられるのによりますと、くさ[#「くさ」に傍線]と言ふ言葉は、病気を意味する。大体そんな言葉で、外からついて来る病気です。外からついて来ない病気はさうないでせうけれども、外から忽然とくつ着いて来る病気をくさ[#「くさ」に傍線]と言ふ。つまり、かさ[#「かさ」に傍線]をくさ[#「くさ」に傍線]とかう言ふのだ、とさう言ふ風に言つてをられますけれども、さうはつきり定めてしまへるかどうか、今はまだ問題です。併し、兎に角、くさつゝみ[#「くさつゝみ」に傍線]と言ふ言葉のつゝみ[#「つゝみ」に傍線]と、「天つ罪」のつゝみ[#「つゝみ」に傍線]とだん/\似て来ます。似た姿を曝け出して来るやうに思ひます。くさ[#「くさ」に傍線]に対する物忌み、だから病ひと言ふことになるんでせう。くさ[#「くさ」に傍線]と言ふ言葉の意味がまだ定らないものですから、まだ考へなければなりませんけれども、こんなのはやはり、方言から行くより為様がありません。なにしろ書き物が残つてゐないのですから、価値のまだ定つてゐない方言から、それを証明して来るのが本当だと存じます。
それを、言葉と言つていゝかどうか訣らぬけれども、平安朝の終りに来て――平安朝の前から言つてゐるかも知れません――我々の書き物には平安朝から現れてゐる事なんですが。――どうも平安朝と言ふ時代は語彙が非常に少くて、而も語彙は少いけれども書き物の非常に多い時代です。換言すれば、書き物に現れる語彙が少い、つまり、少い語彙を以つて沢山のことを書いてゐる時代です。書いてゐる人々は、宮廷に、或は貴族に仕へてゐる女か、さうでなければ、その女等の文章の真似をした人なんですから、大体宮廷、貴族に仕へてゐる、即ち、女房と言ふ階級の人達だつたのです。それで、その女房の貧弱な語彙に、出来るだけの能力
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