れてゐた。畢竟、即位ののりと[#「のりと」に傍線]は、神自体《カムナガラ》にして、神人なる天子の産声であり、また、毎年復活して、宣り下し給ふ詔旨でもあつたのである。其為に元旦の詔旨に、即位式と同じ表現を用ゐ、大倭根子なる資格を云ひ固むる習慣が出来たものと言へる。
のりと[#「のりと」に傍線]のくだる場合が多くなるにつれて、其間に大小、或は、更に細やかな区別が考へられて来た。そして、公式令に見える様な、三様の朝廷の辞が、段々固定して来たのである。処が、蕃国の使に発せられるのりと[#「のりと」に傍線]なる、大・次の二様式がどうして発生したかゞ、問題になると思ふ。
私は、祝詞と寿詞とは、相互関係にあるもので、古く単独に、宣或は奏せられた事実を想像することは出来ない。国学の先達以来、祝詞・寿詞の用語例定義については、結論と見るべき断案に達してゐない。だが、私は、のりと[#「のりと」に傍線]が神及び神自体《カムナガラ》と信ぜられた人、並びに、其|伝言者《ミコトモチ》の発する詞章を、意味するものと考へてゐる。根本は神よりのりくだすことば[#「のりくだすことば」に傍線]である。よごと[#「よごと」に
前へ
次へ
全8ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング