大抵内容のない誇張した抒情詩になる。語の上の争ひに陥る。平安朝になつても、大抵恋愛問答といふものは、さういふやうな詞の上だけで、人をたらす[#「たらす」に傍点]やうなものになつて行つた。
日本の初期の恋歌は、恋愛の実感から出て居るものではない。神の祭りの夜のかけあひ文句[#「かけあひ文句」に傍線]――いはゞ揚げ足取りのやうなもの――から出ました。それだから、其恋愛に、真実味といふものがない。あるのは無意識の性の焔と、機智の閃きとです。さうして出来た恋歌の、稍醇化せられかけた万葉集の牧歌的気分に充ちた半成の抒情詩を、人は誤解して居ます。万葉人はすべて、命がけで恋愛生活に没入して行つたといふ風に考へるのです。唯強い性の自在を欲する潜熱に、古代人の生活の激しさが見えるだけです。
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稲|舂《ツ》けば、皹《カヾ》る我が手を。今宵もか、殿《トノ》の若子《ワクゴ》が 取りて歎《ナゲ》かむ(万葉集巻十四)
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奴隷の女(婢)の悲痛な恋愛の様にとられて、感激させられ易い歌です。但《ただし》、かういふ歌は、作られた場合と、其が伝誦せられた道筋がわからない。さう言ふ歌が沢山ある。其情熱は、けれども、劇的のものであり、背景をなす生活状態に、戯曲風の感動を導くものです。かう言ふ気分を民謡に謡ひ出したといふのは、古代人の粗野な、残忍な性愛の上に、段々醇化が行はれて来た証拠なのです。
其には歌垣のかけあひ[#「かけあひ」に傍線]といふ事が働いて居る。つまりさうした処から日本人の恋愛観は進化して来た。歌垣の秀歌が段々世間にうたひ広められて、人々の頭へしみ込んで行つた。そこで、日本人にほんとうの恋愛といふものが生れてくる。奈良朝では、末期に至つて、純粋な恋愛詩がいくらか出て来たに過ぎないと言ふ外ありませぬ。其にも、段々議論がありますが、要するに万葉集の恋愛歌を純なものとして考へて居るのは、間違ひである。遊女の作つた歌みたやうな気持ちがある。
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あしびきの山の雫《しづく》に、妹待つと、我立ち濡れぬ。山の雫に(大津皇子――万葉集巻二)
我を待つと、君が濡れけむ あしびきの山の雫にならましものを(石川郎女――万葉集巻二)
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かういふ唱和の歌を見ますと、後の女の歌は、如何にも人をたらす様な、篤さの尠い物だと感ぜられるで
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