照を見せたかつた点もある。民俗篇一の「たぶと椿との杜」の写真は、さうした意味から出したのである。
八百比丘尼を採つた第一の理由は、別にある。漂浪する巫女の神語りとしての文学は、古代の海部――或は、山部――其後の「くゞつ」・「ほかひ」から、近代まで筋を曳いてゐる。盲御前《ゴゼ》・歌占の類から、念仏比丘尼・歌順礼の輩の生活が其である。
八百比丘尼を中心として、かうした因縁語りが、長い連環をなしてゐる。日本文学の発生を説く事に力を入れたあの本には、適当らしく考へられたのであつた。当時、私は凝視点を、口頭詞章の上に据ゑる方法を、国文学史の上に試みを積んで、稍自信の出かけた際であつた。此態度を表白するには、此上もない物と考へずに居られなかつた。
今度の本の巻頭は、又「たぶ」の木である。海から来る神と、海ぎはの崖に聳える神木との関係を想ひ見るに、一番叶うたもの、と見立てゝ置いた土地の写真が、遅れて手に入つたので、棄てられない事になつた。三河北設楽の山村の写真は、早川孝太郎さんの作で、花祭りなる神事舞踊を行ふ山人の生活と、環境とを想うて貰ひたかつたのである。念仏踊りの陰惨な古い面形は、あれを、壬生の寺で見た時の、ぎよっとした気持ちを以て、念仏芸能の古形を考へたかつた為だ。文学篇の「文学の唱導的発生」に説いた念仏にも、狂言――或は特に、歌舞妓狂言――の発生、分化にも、暗示を含んだものとして、地平社発行の民俗芸術写真集から、借用することにした。色彩から来るいやらしさ[#「いやらしさ」に傍点]が、写真には出ないのは、せんもない。沖縄の分は、凡私が、見当知らずにとつたもので、中には、二度目に同行した、三上永人さんの作も交つてゐる。壱岐の島の図は、亦私の写した中から出した。一枚だけ、絵はがきを複製した。後に出来た要塞地帯の規則に触れない様にと思ふので、執著ある絵も出さなかつた。人形芝居の処に挿んだ写真や銅版画などは、北野博美さんが、人形芝居号の為に、蒐集して出されたものを借用する。その中には、宮良当壮さんの見とり図もある。念仏者の用ゐた人形は、其前年私も写したが、此方が勝れてゐるから、転載させて貰うた。
横山重さんは、私の学問――と言へるならば――に、しん底から愛を持つてくれてゐる。時には脇で言ひふれてゐると言ふ、私への「ほめ詞」を又聞きに耳に入れてくれる。消え入りたい思ひをした事も、二度
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