へられた人である。其前に、家つきの息子がゐた。その名の岡本屋彦次郎を、お家流を脱した、可なりな手で書いたのを見て、幾度か、考へさせられた。四書や、唐詩選・蒙求の類も、僅かながら、此人の稽古本として残つてゐる。家業がいやで、家に居れば、屋根裏部屋――大阪風の二階――に籠りっきり、ふっと気が向くと、二日も三日も家をあけて、帰りにはきつと、つけうま[#「つけうま」に傍点]を引いて、戻つて来たと言ふ。継母の鋭い目を避けて、幾日でも、二階から降りて来なかつた。其間の所在なさに、書きなぐつた往来文や、法帖の臨書などが、いまだに木津の家の蔵には残つてゐる。果ては、久離きられた身となつて、其頃の大阪人には、考へるも恐しい、僻地となつてゐた熊野の奥へ、縁あつて、落ちて行つたさうである。其処で、寺子屋の師匠として、わびしい月日を送つて、やがて、死んで行つた事も、聞えて来たと聞く。夢の様な、家の昔語りの、幼い耳の印象が、年を経るに従うて、強く意味を持つて響いて来る。
かうした、ほぅとした一生を暮した人も、一時代前までは、多かつたのである。文学や学問を暮しのたつきとする遊民の生活が、保証せられる様になつた世間を、私は人一倍、身に沁みて感じてゐる。彦次郎さんよりも、もつと役立たずの私であることは、よく知つてゐる。だから私は、学者であり、私学の先生である事に、毫も誇りを感じない。そんな気になつてゐるには、あやにくに、まだ古い町人の血が、をどん[#「をどん」に傍点]でゐる。祖父も、曾祖父も、其以前の祖《オヤ》たちも、苦しんで生きた。もつとよい生活を、謙遜しながら送つてゐた、と思ふと、先輩や友人の様に、気軽に、学究風の体面を整へる気になれない。これは、人を嗤ふのでも、自ら尊しとするのでもない。私の心に寓つた、彦次郎さんらのため息が、さうさせるのである。
独り身を守り遂げて、我々をこれまでにしあげてくれた、叔母えい子刀自も、もうとる年である。せめて一度は、年よりらしい、有頂天の喜びを催さしてあげたいと思ふけれど、私に、其望みを繋《か》けてゐてくれる学位論文なども、書く気にもなれない。亡い兄も、数年前まで、帰省する毎にくり返したのは、其事であつた。でも、私の根本の憂鬱には、触れるよしもない叔母・兄も、近年すつかり、私に、そんな激励や、要求はせなくなつた。
「家の風をも 吹かせてしがな」と言つた風の、伝
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