の一致とを区別してかゝらぬ研究は、根柢において誤りがある。印度や、極北あじあ[#「あじあ」に傍線]の民俗が、比較研究や、発生的論証には役立つても、祖先の古代生活を考へるためには、単に、反省を促す補助資材たるに過ぎない。民俗学の為には、此方法は、必履まれねばならぬ。だが、民俗学の一分科としての民族的民俗学には、第一資料を、比較資料の先に据ゑなければならぬ。私の沖縄研究は、此立ち場から、まだ、古代研究の為の実感を催す力を失うて居ない。
私は、国学院在学中、四年間、朝鮮語を習ひとほした。手ほどきから見て貰うた本田存先生の後は、金沢庄三郎先生の特別な心いれを頂いた。朝鮮語に就いては、相当の自信もあつた。卒業間際になつて、ほんの暫らくではあつたが、外国語学校の蒙古語科の夜学にも通うた。金沢先生の刺戟から、東洋言語の比較よりする国語の研究に、情熱を持つた為であつた。まだお若かつた金田一京助先生には、あいぬ[#「あいぬ」に傍線]文法の手ほどきを承つたが、この方はなぜか、ものにならなかつた。恐らく短期の演習として、過ぎたからであらう。あいぬ[#「あいぬ」に傍線]語の練習を後廻しにしてゐるうちに、外国語に対する私の頑冥な偏僻が、これ等の東洋語の記憶をすら妨げて居る事が、段々訣つて来た。それで、あいぬ[#「あいぬ」に傍線]語までは、手が届かないで了うた。でも、この先生の新鮮な感覚によつて蘇らされたあいぬ[#「あいぬ」に傍線]の文法の講義や、座談には、衝動に堪へぬほど、多くの暗示が籠つてゐた。未開時代の種族・社会に偶発する共通民俗も、あいぬ[#「あいぬ」に傍線]の場合は、東方日本の先住民として、民族的交渉の程度に疑ひのあるだけ、殊に注意は緻密にならないでは居ない。
その頃一方に、律文学の文学史に最、興味を持つてゐた。語部なる部曲については、古史伝以外には、まだ明確な、記述も研究もなかつた。ある時、重野安繹博士の国史綜覧稿の出版に臨んで、何かの意味を持つて催された講演会で、始めて偶像破壊者と謳はれて来てゐた翁の口から、語部の話を聞いた時は、此部曲の職掌について、一点の疑ひもない定説が、発表せられたものだと信じた。其と共に、我が古代社会の指導力としての詩のあつた事を知つて、心躍りを禁ずる事が出来なかつた。かうした興味を持つた私が、先生から、あいぬ[#「あいぬ」に傍線]の詞曲ゆから[#「ゆか
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