がむ」に傍線]といふ言葉の原であつて、つまり、長い間の禁慾生活をして、ぼんやりしてゐる。其がながめ[#「ながめ」に傍線]であつた。
此ながめいみ[#「ながめいみ」に傍線]即雨づゝみ[#「雨づゝみ」に傍線]を、どうして今まで、天つ罪と、関係して考へなかつたのであらうか。違ひは単に、濁りだけのことである。昔の人には、つゝみ[#「つゝみ」に傍線]でも、づゝみ[#「づゝみ」に傍線]でも、同じ事であつた。此が、田植ゑや、田に関した物忌みで、霖雨の頃にするのである。此事が、すさのを[#「すさのを」に傍線]の命の話と結びついたのだ。あまつゝみ[#「あまつゝみ」に傍線]は、実は、何でもない事なのである。此について、天つ罪がほんとうだと、云ふ人があつても、日本の伝承の素質では、何方にでも云ひ得るものを持つてゐるので、其を違ふとも云ひ切れない。
以上甚、纏らぬことを述べたが、たゞ日本の語源説とか、文法とかでは、もつとやり直してもらはねばならぬものが沢山ある、といふことだけを考へて頂ければ、此話の目的は、達せられたわけである。



底本:「折口信夫全集 3」中央公論社
   1995(平成7)年4月10日
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