ふ。今私は、文語は、口の上に記録し、頭に記憶する責任を感じてゐる文章だ、と云うて置きたい。文語には、尊敬に伴うて、固定がある。此に反して、言語は段々、発達して行く。こゝに、分化が生じるのであつて、其が愈、紙の上の記録にうつると、そこに截然と、区別が立つて来る。
二
尚、文語に関しては、もつと立ち入つた考へを述べねばならないが、其に一番適切なのは、呪詞・唱詞である。此は、永遠に繰り返さねばならぬものと信じられて居たが、段々脱落変化して、其うち、最大切なものだけが、最後に残つて、歌と諺とになつた。
諺は、私の考へでは、神の言葉の中にあつた命令だと思ふ。即、神の言葉にも、次第に、会話と地との部分が出来て、其中の端的な命令の言葉が、諺であつたと思ふ。此に対して、神から命令をうける者――すぴりつと[#「すぴりつと」に傍線]のやうなもの――の応へる言葉があつて、その一番大事な部分が、歌であつた。それ故、歌には、衷情を訴へるものがある訣である。
此応への言葉が、段々発達した。記録を調べても、神の命令の言葉は短く、其に応へる言葉は、長くなつて行つてゐる傾向が窺はれる。諺は、其形を変へまい/\とした為に、意味の不明になつて了うたものが、可なりにある。かのいろはがるた[#「いろはがるた」に傍線]なども其だと考へられる。此に反し、歌は、絶えず変化し、進んで行つて、今度は歌が、世の中の文章を起す心持ちを刺激した。さうして、奈良朝時代になつて出来上つたものが、宣命であり、祝詞である。
これらの文章には、ある極つた形があつた。ところが、現存してゐる祝詞は、皆平安朝の息が、かゝつてゐると思はれるから、かの歌に刺戟されて起り、且紙の上に書かれた文章としては、今のところ、第一に宣命を考へるより外はない。此宣命は既に、それ以前から固定し、生命を失うてゐた神の言葉を、其頃の言葉と妥協させた。それ故宣命には、奈良朝の文章と、さうでない部分とが含まれてゐるのである。何故かといふと、其処には新しく考へた語法があるからである。
宣命の言葉は、かなり古いものだ、と信ぜられてゐるのであるが、其を作つた者は学者であつて、その学者達が、古い歌を省みて、言葉を作り出してゐるのであるから、宣命には、非常に造語が多いのである。万葉集でも、学者達の作つた長歌には、沢山の造語があつた。そして、口頭伝承には、かういふ
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