嬉しい時にも、うたて[#「うたて」に傍線]の遣はれる理由はあつても、類型表現の習慣や、類型に妥協する懶惰性が、さうはさせない。不快な心を表現する方へ偏つて行く。さうして遂には、うたて[#「うたて」に傍線]其ものが嫌悪の情調を表すものと考へられるやうになる。即、結果から言へば、叙述語に添うてゐた副詞が、肝腎の対象を失ひ、遂には、叙述語自身と見なされる職分を持つことになる。「うたて憂鬱なり」と言ふところが慣しとなつて、うたて[#「うたて」に傍線]ばかりを遣つて、「憂鬱なり」と感じる様になつて来る。叙述部脱落と、副詞の游離性とから、さうした結果を生じるのである。
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……地を惜《アタラ》しとこそ、我が汝兄《ナセ》の命かくしつれと詔《ノ》り直せども、猶其悪態不止而《ナホソノアシキワザヤマズシテ》転。(神代記)
こゝに、大長谷[#(ノ)]王の御所に侍ふ人等白さく、宇多弖物云王子故応慎《ウタテモノイフミコナレバココロシタマヘ》。亦|宜堅御身《ミヽヲモカタメタマフベシ》、と白しき。(安康記)
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神代記の転を、宣長は「ウタテアリ」と訓んでゐる。巧妙な訓であるが、中世の臭ひがする。後にウタヽと訓まれる字が、ウタテアリに宛てられる理由はあるやうだが、まだしも逆に読み上げて「あしきわざうたて[#「うたて」に傍線]やまず」と改めた方がよい。「不止而転」といふ字面のまゝ読むと、転《ウタテ》が何にかゝつてゐる副詞やら訣らなくなる。さうしてまだ此時代には、「ウタテアリ」の形も成長せず、此語のつく叙述部のない形も出来てゐなかつた筈である。安康記の例は、「物云」にかゝつて居るやうで、少し異風だ。激しくもの言ふなど訳して見れば訣るやうだが、此も、後代風のうたて[#「うたて」に傍線]にとることは出来ない。おなじ上代の文献と言つても、万葉の歌と、古事記中の言語では、年代が違ふ。其を宣長のやうに理会しては困るのである。まして万葉期にもなかつた筈のウタテアリが、其より更に上つた時代にある訣はなく、又嫌忌する意がまだ発生して居ない筈なのに、転も宇多弖も、其に近づけて説くのは、よくない。唯、その「甚し・極めて」などが、悪しい傾向のことを言ふに傾いてゐたと言ふことは出来るかも知れぬ。併し此は今残つてゐる僅かの例や、うたて[#「うたて」に傍線]と似た意義発生径路を持つた語から見て言ふだけのことであつて、現存しない反証の出て来ることも予期せねばならぬ。まづ今の処間違ひなく言へることは、古代にも相当に夙くから、此語はあり、生得の副詞として、所謂語根のまゝのものであり、従つてく[#「く」に丸傍点]・も[#「も」に丸傍点]・に[#「に」に丸傍点]・と[#「と」に丸傍点]など言ふ接尾語によらずとも、十分に副詞機能を発揮したものであつた。其が類型表現の為に、憂鬱・嫌厭の甚しさ[#「甚しさ」に傍点]を表すことが多かつた。中世の初め、略語表現が盛んに行はれた人々の間で、叙述部の為の修飾部だけを遣つて、叙述部の代理までさせる様になつた。其結果、修飾部が叙述部となつた。さうして、うたて[#「うたて」に傍線]は完全に悲観・倦厭の情を示す用語例に入つてしまつた。さうなつてもまだ、此語自身の持つた運命は、く[#「く」に丸傍点]・し[#「し」に丸傍点]・き[#「き」に丸傍点]など言ふ形容詞語尾を完全に持つには到らなく、却て別の形が叙述部として役に立つ為に出来て来た。其が、うたてあり[#「うたてあり」に傍線]である。副詞の位置の自由だつた為、転倒して文末に来ることなどがあつたこと、「……行かなくに。」「……うらもとなくも。」などが、其を示してゐる。此等も皆あり[#「あり」に傍点]をつければ、完全な叙述部として立つことが出来る。此まゝでも、事実において、叙述能力を持つてゐる。唯うたてあり[#「うたてあり」に傍線]の場合、語尾をつけて、副詞から形容詞(あり[#「あり」に傍線]を複合した)を構成したのである。よくあり[#「よくあり」に傍線]・こひしくあり[#「こひしくあり」に傍線]を類推の基礎にしてゐる。さうして単に叙述部ばかりに止らず、自由な動詞状形容詞として、連体形も出来て来た。さうして、完全に悲観・嫌厭の情を専らに言ふことになつた。此頃から一方音韻分化したうたゝ[#「うたゝ」に傍線]の形が、うたゝあり[#「うたゝあり」に傍線]ともなり、悲感を表すと共に、積極感をも示すことになつたが、此は訓読専門の語となつて行つたらしく、専らうたゝ[#「うたゝ」に傍線]と言ふ形の死語として、今日までも残つた。
うたて[#「うたて」に傍線]・うたてあり[#「うたてあり」に傍線]が並び行はれてゐる間に、うたてく・うたてき・うたてしなど言ふ不整形な語も認められるやうになつた。さうして、近代に入つては、うたての・うたてな・うたていなどが出た。さうして今も方言では、うたてい[#「うたてい」に傍点]として残り、煩雑・困惑・倦怠などの情調を表す語として用ゐられる地方が、相応にある。
「うたて+……」と謂つた形の句が、うたて[#「うたて」に傍線]だけを残した脱落句となる前に、うたて[#「うたて」に傍線]が既に叙述性能を持つて来てゐるのだ。さうして、副詞である為に、其位置は自由であるが、ともかくも不整形叙述語としての力だけは持つてゐた。さうして尚も、其自身不整備形なることを忘れないでゐる為に、あり[#「あり」に傍線]を補ふことによつて、語形を完成しようとしたのである。だがさうしても、うたて[#「うたて」に傍線]を様式上形容動詞風にして、叙述部感を完うしようとしたゞけである。此は、後に説く「あさまし」その他の場合にもくり返されることである。
底本:「折口信夫全集 12」中央公論社
1996(平成8)年3月25日初版発行
※題名の下に「昭和九年以降草稿」の表記あり。
※底本の題名の下に書かれている「昭和九年以降草稿」はファイル末の注記欄に移しました。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年4月11日作成
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