ち(ロ)の例は、我々の持つてゐる形容詞語尾の感覚に近いものであつて、活用完成の径路には、必経てゐる姿であるに違ひない。(イ)は、文法的語感の持ち方に依つて違ふ所もあらうが、大体に於いて、領格「つ」を以て代入出来さうに、現代の感じでは思はれる。即、いにしへ[#「いにしへ」に傍線]のし[#「し」に傍線]は、単純に過去の助動詞と採るべきではなからうと思ふが、其を拒む理由もまだ立たない。かたしへ[#「かたしへ」に傍線]の方になると、かたし[#「かたし」に傍線]だけでほゞ熟語であり、体言の感覚が持たれて居つた痕跡はある。とこしへ[#「とこしへ」に傍線]などは、とこつへ[#「とこつへ」に傍線]と言ふ形を仮想して見ると、とことは[#「とことは」に傍線]なる詞の形が訣りさうである。ともかくもこの一群に於いては、の[#「の」に傍線]・が[#「が」に傍線]・つ[#「つ」に傍線]に近づいてゐる事は明らかである。(ハ)の例に於いては、総て単語に着くと言ふよりも、句に続くと言うた感じを持たせるが、結局はその詞自身が長く、その上に、詞に屈折の多い為に、さう感ぜられるだけである。
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いよしたゝしゝ……弓
やすみしゝ……おほきみ
あそばしゝ……しゝ(?)
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つまりは、音脚の制限を受けた律文の中にあればこそ、熟語としての感覚が乏しいのに過ぎない。たとへば、
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なぐはし(名細) よしぬのやまは、……くもゐにぞ、とほくありける(万葉巻一)
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を例にとつて見る。かう言ふ場合、枕詞の格として、我々は常に、其連続について問題としてはゐない。なぐはし[#「なぐはし」に傍線]とよしぬ[#「よしぬ」に傍線]との間には不即不離の関係があるのだと言ふ位に考へてゐる。此は即、文法に気分観を容れるからの間違ひである。おなじ詞でも、古用語例を延長したもの、たとへば、「名細之《ナグハシ》 さみねの島の」(巻二)と言つた例になると、よし[#「よし」に傍点]野と謂つた様に適確に名細しと言ふのでなく、唯漠然と名の感じがよいと言ふ位に転じてゐる。つまり単なる地名のほめ[#「ほめ」に傍点]詞なのである。此と「名細寸《ナグハシキ》 いなみの海のおきつ浪」(巻三)と言ふのと、どれ程の差違があらう。
この三つを並べて見ると、古格と古格を辛うじて守つてゐるものと、新しい感覚に従うて文法を整頓したものとの間に、自然に通じるものが見られる。最進んだ枕詞論者は、語句の固定によつて、枕詞としての感覚が出されてゐるものと言ふであらう。だが、真実、「なぐはし よしぬ」と「なぐはしき いなみのうみ」との間に時代的発想の新旧が見られるだけではないか。唯、前者ではよしぬ[#「よしぬ」に傍点]との関係の深さは見えるが、後者は「の海」まで、なぐはしき[#「なぐはしき」に傍線]の効果の及んでゐることは確かだ。
枕詞と言はれ、又さう扱はれてゐないものゝ中でも、特別なものを除けば、実は分類の不正確なものに過ぎなかつた。だから、前にあげた「やすみしゝ」が枕詞であつて、自余の物がさうでないなど言ふのは、唯の習慣の問題に過ぎない。更に此癖は、熟語かどうかと言ふ感じをさへも、鈍らしてゐるのである。
今一度方面をかへて(ハ)の例について物を言ふなら、「やすみしゝ」などの上の「し」は敬語の助動詞に属すべきものだ。こゝにも問題があるので、「……さす[#「さす」に傍点]」・「……しす[#「しす」に傍点]」など概括して古代風に感じられる敬語法では、上が唯する[#「する」に傍点]と言ふ動詞で名詞についたもの、下が敬語的屈折を作るものと言ふ風に理会せられる。昨非今是まことに面目ないが、単に朝令暮改と笑殺されてもさし支へない。私は、今敢へて上の「し」を敬相、下の「し」を、尚多くの隈を含めながら、熟語を構成する一つの形式的要素[#「熟語を構成する一つの形式的要素」に傍点]と見ようと考へてゐる。
枕詞と言うても、いろ/\あるが大体に、枕詞と感じるだけの約束がないでもない。ある一つの約束は、一つの固定した格を作つて、外の語と紛れぬ様になつてゐることだ。こゝには其について、一々述べないが、この場合の問題の「を」なども其だ。「けごろもを……はる[#「はる」に傍点]冬」「みはかしを……つるぎ……」「みこゝろを……よしぬ」(イ)[#「(イ)」は縦中横]の如き、近代の人の文法的調節によつて感じる所の、御心よ……み佩刀よ……褻衣よ……など言ふ形は、確かに万葉時代にも其通り考へてゐた時期はあつたらしく、其と共に、既に此「を」を以て目的格の助辞と見るに傾いたらしい例は、ぼつ/\ある。「わぎもこを……いざみの山(はやみ浜……)」「いもがてを……とろしの池」「たちばなを……もりべのさと」(ロ
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