※[#「やまいだれ+惡」、第3水準1−88−58]《オホベシミ》の面に現れてゐるのだ。一体日本には、古くから面のあつたことを示す証拠はある。併し、外来の面が急速に発達した為、在来の面は、其影を潜めたのである。
開口は、口を無理に開かせて返事をさせる事で、其を司る者は脇役である。して[#「して」に傍線]は神で、わき[#「わき」に傍線]は其相手に当る。かうしたわき[#「わき」に傍線]の為事が分化して来ると、狂言になるのだ。勿論、狂言は、能楽以前からあつたものである。大※[#「やまいだれ+惡」、第3水準1−88−58]《オホベシミ》の面は、全く口を閉ぢてゐる貌であるが、此面には、尊い神の命令を聴くと言ふ外に、其命令を伝達すると言ふ、二つの意味がある。即、神であり、おに[#「おに」に傍線]であるのだ。
また一方、恐怖の方面のみを考へたのが、鬼となつた。鬼と言ふ語は、仏教の羅卒と混同して、牛頭《ゴヅ》・馬頭《メヅ》の様に想像せられてしまうた。其以前の鬼は、常世神の変態であるのだが、次弟に変化して、初春の鬼は、全く羅卒の如きものと考へられたのである。つまり、初めは神が出て来て、鬼を屈服させて行くのだが、後には、神と鬼との両方面を、鬼がつとめることになつて行つた。鬼が相手方に移つて行つたのである。田楽では、鬼と天狗とを扱うてゐる。一体、田楽は宿命的に、天狗と鬼とを結合させてゐる。此は演劇の発足を示すもので、初めはして[#「して」に傍線]が鬼、わき[#「わき」に傍線]がもどき[#「もどき」に傍線]であつた。
村々の大切な儀式に鬼が参加することは、今も、処々に残つてゐる重大なことである。壱岐の島へ行くと、おにや[#「おにや」に傍線]と言ふものがあるが、此は古墳に相違ない。此処には昔、鬼が棲んだと言はれてゐる。対馬へ行くと、やぼさ[#「やぼさ」に傍線]と言ふ場所が神聖視せられてゐる。初春には、殊に大切に取り扱はねばならぬ。此処には、祖先の最古い人が住んでゐると考へられ、非常に恐れられてゐる。
昔は、海辺の洞穴に死人を葬つたが、後には其処を神の通ひ場所と考へる様になつた。沖縄の石垣《イシガキ》島の宮良《メイラ》村では、なびんづう[#「なびんづう」に傍線]の鬼屋《オニヤ》に十三年目毎に這入つて行つて、若衆入りの儀式を挙げる。恐るべき鬼は、時には、親しい懐しい心持ちの鬼でもある。仏教で言ふ鬼では決してないのである。
かうした鬼を扱ふ方法を、昔の人々はよく知つてゐた。あるじ[#「あるじ」に傍線]と言ふ語は、まれびと[#「まれびと」に傍線]即、常世神に対する馳走を意味する。日本の宴会には後世まで、古代の神祭りの儀式のなごりが、沢山遺つてゐる。武家の間で馳走の時、おに[#「おに」に傍線]と言ふ名の役が出た事も、かうして見て初めて意味がよく訣る。
まれびと[#「まれびと」に傍線]なる鬼が来た時には、出来る限りの款待をして、悦んで帰つて行つてもらふ。此場合、神或は鬼の去るに対しては、なごり惜しい様子をして送り出す。即、村々に取つては、よい神ではあるが、長く滞在されては困るからである。だから、次回に来るまで、再、戻つて来ない様にするのだ。かうした神の観念、鬼の考へが、天狗にも同様に変化して行つたのは、田楽に見える処である。



底本:「折口信夫全集 3」中央公論社
   1995(平成7)年4月10日初版発行
底本の親本:「古代研究 民俗学篇第二」大岡山書店
   1930(昭和5)年6月20日発行
※底本の題名の下に書かれている「大正十五年、三田史学会例会講演筆記」は省きました。
※訓点送り仮名は、底本では、本文中に小書き右寄せになっています。
※平仮名のルビは校訂者がつけたものである旨が、底本の凡例に記載されています。
※「次第」と「次弟」の混在は底本通りにしました。
入力:門田裕志
校正:多羅尾伴内
2004年1月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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