撒く事に聯想が傾くが、恐らく葬送して罷《マカ》らせる意であつたものが(任《マ》くの一分化)骨を散葬した事実と結びついて、撒くの義をも含む事になつたのであらう。
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秋津野を人のかくれば、朝蒔君《アサマキシキミ》が思ほえて、歎きはやまず(万葉巻七)
たまづさの妹は珠かも。あしびきの清き山辺に 蒔散染《マケバチリヌル》(?)
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などは、風葬とも限られない。
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鏡なすわが見し君を。あばの野の花橘の珠に、拾ひつ(万葉巻七)
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なども、火葬の骨あげとはきまらない。「ひろふ」と言ふ語に、解体して更に其骨を集める事を含んで居るのかと思ふ。勿論火葬は、既に一部では行はれて居たであらう。が、私はわが国の殯《モガリ》の風を洗骨に由来するものと考へて居る。今も佐賀県鹿島町の辺に、洗骨を行ふ村がある位である。南島と筋を引く古代人の間に、此風がなかつたものとも思はれない。併し、洗骨の事実を「珠に拾ひつ」と言うたと考へられないであらう。洗骨はやはり、復活を防ぐ手段なのであつた。何にしても日本の蚩尤伝説は、其が固定して後までも
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