の神にまでたむけて居る。ぬさ[#「ぬさ」に傍線]は着物を供へる形の固定したものであらう。着物が袖だけになり、更に布になり、布のきれはしになると言ふ風に替つて、段々ぬさ袋の内容は簡単になつて行つたものと思はれる。山の神の手向けとして袖を截つた事もあつたのは「たむけには、つゞりの袖も截るべきに」と言ふ素性法師の歌(古今集)からでも知られる。而も、かうした精霊が自分から衣や袖を欲して請求するものと考へられる様になつて来る。此が袖もぎ神[#「袖もぎ神」に傍線]である。道行く人の俄かに躓き、仆れることに由つて、其処に神のあつて、袖を求めて居るものと言ふ風に判ぜられる様になる。壱岐の島などでは、袖とり神[#「袖とり神」に傍線]の外に草履とり神[#「草履とり神」に傍線]と言うて、草履を欲する神さへある。袖もぎ神は、形もなく祠もない。目に見えぬものと考へられて来た様である。
ぬさ[#「ぬさ」に傍線]が布帛の方にばかり傾いて来たのは、恐らく古人の布帛を珍重する心が、みてぐら[#「みてぐら」に傍線]を供へる対象とぬさ[#「ぬさ」に傍線]を献るべき神とを混同させる様にしたからであらう。ぬさ[#「ぬさ」に傍線]の系統には布でないものもあつたのである。植物の枝や、食物までも使はれた。
植物の枝は着物同様、屍を蔽ふ為に投げかけられたのである。其が花の枝に替つた地方もある。此が柴立て場・花折り阪などの起りである。沖縄の国頭郡にある二个処の恥蔽阪《ハヂオソヒビラ》の伝説は、明らかに其を説明して居る。恥処《ハヂ》を蔽《オソ》ふ為ばかりでなく、屍を完全に掩ふために、柴を与へて通つたのが、後世特定の場処に、柴や花をたむける風に固定したのである。
食物としては、米が多く用ゐられて居るけれども、菓物を投げ与へる事もあつたらしい。桃の実や、櫛・縵の化成した筍・野葡萄の類が悪霊を逐うた神話などは、或種の植物に呪力があると見る以外に、精霊を満悦せしめる食物としての意味を、考へに入れて見ねばならぬ。散飯《サバ》を呪力あるものとしてばかり考へてゐるが、やはり食物としてゞある。大殿祭にもぬさ[#「ぬさ」に傍線]と米とがうち撒かれるのは、宮殿の精霊に与へるのが本意で、呪力を考へるのは、後の事であらう。すべての精霊のたむけ[#「たむけ」に傍線]にはぬさ[#「ぬさ」に傍線]と米とを与へる様になつた。其も亦、我々の想像を超越し
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