私の考へです。だが一口には、田楽は五月の田遊びから出てゐると申してよろしい。此猿楽は、田楽では、もどき[#「もどき」に傍線]と言ふ脇役に、俤を止めました。能楽と改称した猿楽能では、狂言方とまで、変転を重ねて行きました。わき方[#「わき方」に傍線]も、勿論此から出たのです。結論に近い事を申しますと、翁も純化はしましたが、やはり此で、黒尉《クロジヨウ》は猿楽の原形を伝へてゐる、と申してよろしいのです。
猿楽の用語例の一部分には、武家以前古くから興言利口などゝ言ふべき、言ひ立て[#「言ひ立て」に傍線]又は語り[#「語り」に傍線]の義があります。興言利口も、其根本になるべき話材までも、さう言ふ様になりました。此は、狂言の元の宛て字が興言であると共に猿楽の、言と能との二方面に岐れる道を示すものです。能楽が専ら猿楽と称へられたのは、此方面が主となつてゐたからかと思ひます。故事語りに曲舞の曲節をとりこみ、ことほぎ[#「ことほぎ」に傍線]のおどけ言ひ立てを現実化したのが、猿楽の表芸を進展させた次第であります。能芸の方は寧先輩芸道なる曲舞・田楽の能などからとり込んだらしいのです。
猿楽能に於ける翁は、此言ひ立て[#「言ひ立て」に傍線]・語り[#「語り」に傍線]を軽く見て、唱門師《シヨモジン》一派の曲舞(の分流)から出て、反閇《ヘンバイ》芸を重くした傾きがあります。だが、元々、猿楽と言つても、田楽の一部にも這入つて居たのです。だから、田楽にも、その演芸種目の中に猿楽が這入つてゐたのです。此が呪師芸や、其後身なる田楽のわき役[#「わき役」に傍線](もどき役[#「もどき役」に傍線]、同時に狂言方[#「狂言方」に傍線])から独立して来たものと思ひます。
だから、田楽にも、翁の言ひ立てや語りがあつたらしいのです。唯、田楽能をまるどり[#「まるどり」に傍点]して、自立したにしても、猿楽能自身の特色がなくてはなりませぬ。其は、翁の本家であつた、と言ふことです。語りの方は、開口《カイコウ》や何々の言ひ立て[#「何々の言ひ立て」に傍線]の側に岐れて行つたのでせう。開口も、何々の言ひ立ても、元は翁の中に含まつて居たと見えるのです。奈良に残つた比擬開口《モドキカイコウ》や、江戸柳営の脇方の開口の式なども、同じ岐れです。其もどき[#「もどき」に傍線]と言ひ、脇方[#「脇方」に傍線]の勤めると言ふのは、事実の
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