りに、山人の祝福に来る形です。
翁は、どの村々にも必、ある様で、田楽祭りと称する村では、勿論、必あります。其語りにも色々ある様でありますが、主なものは、生ひ立ちの物語りと海道下りとである様です。此翁の語りの事を、猿楽と言ふのも、一般の事の様です。設楽郡の山地に入り初めの鳳来寺には、田楽の他に、地狂言と言ふものがあつて、其を猿楽と称へたらしい証拠があります。先年までしたのは、唯の芝居でしたが、其始まりのものは、三番叟であつて、此を特別の演出物としてゐます。此地狂言は、古くは、猿楽能に近いものを演じた様ですが、近代では、歌舞妓芝居より外はやりませんでした。此猿楽なる地狂言が、三番叟だけは保存してゐたと言ふのは、江戸芝居と一つで、翁が猿楽の目じるしだつたからであります。三番叟を主としたのは、猿楽の中の猿楽なる狂言だからでせう。豊根村の翁には、もどき[#「もどき」に傍線]がついて出て、文句を大きな声でくり返しました。鳳来寺の地狂言では、後に引いた幕の陰に、大勢の人が隠れてゐて、三番叟の詞をくり返して、囃したさうです。
花祭りの翁でも、役人は一人ではありません。翁の外に、松風丸(又は松風・松かげ)と言ふ女面があり、三番があるのが普通の様です。翁の言ひ立ての後で、三番叟(信州新野では、しようじっきり[#「しようじっきり」に傍線])が出て、翁のおどけ文句以上に、狂言を述べる。松風は所作はわからぬが、千歳の若役を若女形でするので、田楽らしい為方です。田楽には、女も役人に加はつてゐました。だから、千歳役も、田楽の猿楽では、女千歳であつた事があるのでせう。其が仮面になつたのかも知れませぬ。翁の語りの中に「松風のじぶんな、寒《サンブ》やかりける事よな」又は「翁松かげにかんざられ、寒や悲しや(?)」かう言ふ文句があるけれど、前後の関係の推測出来るやうに、筋立つても居ません。かうした翁の役は、此田楽でも三人なのです。翁の生ひ立ちの語りは、其誕生から、其に伴ふ母の述懐を述べて、自身の醜さを誇張して笑はせます。其から、今まで生きてゐた間に、滄桑の変を幾度も見た事を言ひまして、翁の壻入りの話になるのです。壻になつた時の準備に、色々な事を習うて、種々の失敗をする、おもしろい「早物語」らしい処があります。海道下りは、京へ上る道や入洛してからの物語で、其間に、みだらな笑ひを誘ふ部分を交へてゐます。
生ひ
前へ 次へ
全32ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング