猿とするなどいふ信仰もあつたと思はれるのである。山姥狂言の中にも、手白の猿を出した物があつた。今日さう言ふ芝居絵を見ても、別に手に特徴はない。結局別に語原を持つものに違ひない。
古代に手代部といふ部曲のあつたのも、後世の神社に於ける手長職と同じもので、神の手其物として働く部曲だつたらしい。てしろ[#「てしろ」に傍線]の語《ことば》ばかりが残つて、実の忘れられた時代に、山王のつかはしめ[#「つかはしめ」に傍線]なる猿を手白と感じ、特別に又、さうした霊妙な一類があることも考へてゐたのだらう。が、今いふ、信仰もあつたかと思はれるのである。前述の山姥狂言の中に出る手白の猿も愛護若の物語とは関係なく、山姥の狂言の中に、手白の猿の姿を描いた、江戸の芝居絵を見たことがあるだけで、他には、何の材料も見あたらぬ。
鼬の骸を仮つて、地獄の幽霊が復帰して来るのは、因果物語であるが、説経としての特徴を止めたものである。尚、桜の木に愛護を吊るのは、説教節通有の拷問をこんなところにも割り込ましたのだが、神仏の身代りで、脱出する其常型は破つてゐる。
細工が禁札の為に、途中から引つ返す条、叔父帥[#(ノ)]阿闍梨が疑
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