びと」に傍線]を考へてゐた事も思はれる。年神には、老夫婦を言ふものが多い。必しも高砂の尉と姥から出た空想ではない。島台に老夫婦の形を載せる事も、却て老夫婦のまれびと[#「まれびと」に傍線]の考への固定したものであらう。謡曲「高砂」の翁を住吉明神とし、媼を高砂の松の精としたのは、遠くから来るまれびと[#「まれびと」に傍線]を二つに割つて考へた合理的な説明である。一体に播州に住吉神来臨を説く事の多いのは、神の棲む海のかなたの国を、摂津の住吉に考へた為で、数多いとこよ[#「とこよ」に傍線]の国の一種である。播磨風土記には、他国から来た夫婦神の、土地を中心にした争ひを多く伝へてゐる。此は土地占めの神争ひの上に、まれびと[#「まれびと」に傍線]の影を落して居るに違ひない。
備後風土記逸文の蘇民将来《ソミンシヤウライ》・臣旦《コタン》将来に宿を乞うた武塔《フタウ》天神は、行きには一人だが、八年目の帰り途には、八人のみ子を連れて居たとあるから、群行である。而も此物語は、民間の行事が神話化したもので、神の来り臨んで、家々に宿る夜のあつた事を示してゐる。同類の神話は、常陸風土記筑波山の条にある。御祖《ミオヤ》神(母神の意)天から降つて、姉娘富士に宿りを乞ふと、新嘗の夜故との口実で宿を拒んだ。妹筑波に頼むと新嘗するけれども、母ゆゑにはと言うて泊めたと言ふ。此は、新嘗の夜の物忌みの厳重な為来りが、反対の性質と位置を持つた二人の運不運とを説く型に持ちこまれたものである。而も東国では、さう言つた神話が出来て居るに係らず、殆同時代或は後代に、現実の信仰として、新嘗の夜の物忌みの保たれて居た。万葉集巻十四の二首の東歌「にほとりの葛飾早稲をにへすとも、その愛《カナ》しきを、外《ト》に立てめやも」「誰《タ》そや。此屋の戸|押《オソ》ぶる。にふなみに、我が夫《セ》をやりて斎《イハ》ふ此戸を」。にへは贄《ニヘ》で、動物質に限らず、植物性の食ひ物にも通じる。神と天子とに限つて言ふ語。贄すは、早稲の初穂を飯にして献る事。その夜は人払ひだが、表に立たせてはおけぬ可愛い男を歌ひ、一方は、にふなみ[#「にふなみ」に傍線]が寧ろ、新嘗の語原で、にふ[#「にふ」に傍線]はにへ[#「にへ」に傍線]で、なみ[#「なみ」に傍線]はの忌み[#「の忌み」に傍線]であると考へる方が、正しい事を思はせる。わが夫をすら外泊させて一人神を祭る夜に忍び男の来る事かと言ふのである。が此とて、実情でなく、さうした境遇に切ない情を抱く女を空想した一種の叙事的な民謡で、純な抒情詩ではない。而も、明らかに戸を押ぶる者は、まれびと[#「まれびと」に傍線]の変形であり、その愛しきと言ふのも、おとづれる神を恋愛にうつして歌うたものと見るべきである。家々に宿るまれびと[#「まれびと」に傍線]の為に、其に仕へる家の処女又は主婦一人残つて、皆家を出て居る。まれびと[#「まれびと」に傍線]の為にする物忌みが一転して、まれびと[#「まれびと」に傍線]と母神とを別々に考へる様な形をとるのである。而も、東歌が恋愛の境地に入れてゐるのは、此夜家々に泊るまれびとに一夜夫《ヒトヨヅマ》としての待遇をする事があつた為であらう。一夜づまは決して遊女ではない。「我が門に、千鳥|頻《シバ》鳴く。起きよ/\。わが一夜づま。人に知らゆな(万葉)」の我が門とあるのは、家の処女か主婦の位置を示すものである。信仰上ある一夜のみ許されたまれびと[#「まれびと」に傍線]の宿りが、まれびと[#「まれびと」に傍線]を人と知つた時代にも続いてゐた為に、一夜づまと言ふ語が出来たのであらう。此は神としての待遇の引き続きが、神の代理者なる人にも持ち越され、神の分子を認めて居たからである。
まれびと[#「まれびと」に傍線]が神でなくなつた後期王朝にも、賓客に屡《しばしば》その家の娘・主婦を添ひ臥しに進めた例がある。村々に来り臨むまれびと[#「まれびと」に傍線]の待遇法が、貴人に対しても行はれたので、貴人を神と同格に見た。
底本:「折口信夫全集 4」中央公論社
1995(平成7)年5月10日初版発行
※底本の題名の下には、「草稿」の表記があります。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年10月31日作成
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