つた。飛鳥朝宮廷にも既に行うた記録のある元旦拝賀の儀の中の、諸氏の奏寿は、鎮魂祭の分裂したものであり、室町あたりから書き物に見える七夕の翌日から盆の前日にまで亘つた、生御魂《イキミタマ》の「おめでた言《ゴト》」と一つ事であつた。親や親方・烏帽子親を拝みに行く式である。宮廷では、主上自身、上皇・皇太后を拝みに、朝覲行幸《テウキンギヤウカウ》を行はせられた。縁女・奉公人の藪入りも、上元・中元をめど[#「めど」に傍線]とした親拝みの古風である。即、鎮魂の一様式でもあつた。
かうして見ると、秋祭りには、穂祭り・神嘗祭りの意義のものが多く、真の秋祭りとも言ふべき新嘗祭りは、段々、消えて行つた。さうして其上に、夏祭りと同根の、夏祓への分化した様式が、七夕節供や水神供となり、又祭りの余興としか考へられなくなつた相撲があり、すつかり見え[#「見え」に傍点]の変つて了うたのが、盂蘭盆であり、何ともつかぬ年中行事となつたのが、盆礼の「おめでたごと」であつた。
かう言ふ夏祓へと、穂祭りとを合体させたものが、住吉の宝の市の神輿渡御であつた。桝を売るから、桝市とも言ふ。此方から見れば、秋祭りであるが、神輿洗ひや
前へ
次へ
全36ページ中21ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング