は確かに歌比丘尼の語りごとに代ふるに文字を以てしたところがある。
お伽草子の中に、名高い七人比丘尼の話がある。懺悔《サンゲ》物語とも言はれてゐる。此話は、三人法師の話を模倣したのだと称せられてゐるけれども、真偽のほどは訣らない。懺悔を喧しく唱へるのは、天台の特色だつたらしいが、歌の方面でも一つの形式になつてゐた。古い小唄にも何々懺悔といふのが見える。七人比丘尼の話は、女が一生の懺悔話をするので、其は宛《あたか》も仏の前でする心持ちで人の前に発表したのである。「一代男」の歌なども、上方唄の色香から採つたらしく、やはり懺悔の一種なのである。此歌なども突然現れたものではなくて、やはり前型があつたのだ。お伽草子の中にも、単なる一生の物語と見える様なものが多いが、其《それ》らはすべて懺悔に関する部類に一纏めにして考へられる。更に古く溯れば、大鏡・増鏡なども、やはり此種類に属すべきであるが、お伽草子の中では、もつと切実な心持ちを表してゐる。
かうした懺悔の歌の方面を最近くまで持続して来たものは、恐らく勧進比丘尼だらうと思はれる。そして其は、絵解きから来てゐる。説経を今一層通俗的にしたものである。絵解きの節廻しから、お伽草子の懺悔は組み立てられる様になつたのであらう。後世、色懺悔など称せられるものがあるが、それらも皆これと同一の系統に属すべきである。一体に、懺悔の歌は、絵解きだけでは物足らなく感ぜられる様になつた為に、自分を見せしめとして、もつとよい生活をするやうに、といふ反省を促す歌が行はれたので、効果も一入《ひとしほ》なのである。
七人比丘尼の話は其自ら既に古いものではあるが、この話から更に古くより自分の一生を懺悔して歩いてゐた比丘尼のあつたことが訣ると同時に、さうした事実が七人比丘尼の話を構成させる様になつたことも考へられる。
歌比丘尼の前が絵解きであつたことは訣るが、其前の型が何であつたかは判らない。たゞ絵解きが持つてゐる琵琶によつて、やはり琵琶法師の系統で、其は民間の祈祷をしつゝ歩いた者が、傍《かたはら》、琵琶法師をもしてゐたのであらう。
お伽草子以前には、懺悔の形をとつた文学はなかつた。懺悔の形式を以て一種の告白小説の現れたのは、室町時代がはじめで、それ以前は仮令《たとひ》あつたにしても、無意識で行つてゐたのである。此から小さいながらも手本を見せて、もとの理想的な形を
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