々年たけて、親を養ふ様などを思うて、堪へられなかつたであらう。此時分の受領《ズリヤウ》の妻の生活は、そんなに幸福なものではなかつた。男こそ、宮廷・大貴族に仕へるさう言ふ女房を、客分のやうにして迎へて、そのぷらいど[#「ぷらいど」に傍線]に輝く思ひあがつた姿を、任国の人々の目に、ほのめかしてやるだけでも、天に上る気持ちがしたものであらう。だからさう言ふ夫や、家人《ケニン》にとり捲かれた有頂天な喜び、反省などは都に置き忘れて来たやうな生活をさせてやりたかつたのであらう。事実夫が信濃の国府(今の松本近辺)へ下るのに、誘はれなかつた彼女の生活が、その後豊かになつた風も見えなかつた。如何に平安朝も末に傾いてゐたと言つても、まだ院政時代にさしかゝつたゞけの時代で、都人が、花の様な世の中を楽しんでゐるに十分だつた。ひとり醒めたやうに、この女性は、時々遠国の夫から送りとゞけられる信濃の山づとを、つまらなさうに見てゐたであらう。其をもつと幸福にしてやりたかつたのだ。
堀君はちつとも、自分を世の常の人に変つた人間だと思はれようとしない人である。若い頃からさうだつたから、我々は感心する。名ある野山を歩いて、其名所旧蹟を眺めることを喜ぶ素直さの一方に、其野山の間の窪地や、岡の陰に、誰の心にもとまらなかつた所を見つけて、腰をおろす。そこにゐて、耳を澄し、息を整へて、名もない所の心やすさをたのしむ静かな心――。さう言ふ所のあつた人だ。
「黒髪山」を見て、「ホトトギス」の写生文の栄えた時代を、何となく思ひ出した。併しつく/″\思ふと、「ホトトギス」の作者たちは、虚子・漱石から、四方太・三重吉に到るまで、皆何かえらさ[#「えらさ」に傍点]があつて、人を安んじさせなかつた。堀君に思ひ比べると、其がまざ/\感じられる。同行の神西さんが東京へ帰つてから、名もない山の中を歩いてゐる。古代人が幻想したやうに、木の葉を一ぱい浴びた姿の死者となつて、佐保山の奥に、ほんたうに自分自身が迷ひ入つたやうな感じを書いてゐる。しかしどこまで行つても、山は明るかつた。明るいなりに、山は無気味にしいんと[#「しいんと」に傍点]してゐた。さうして暫らくして、又物音のする村里へ出て来る。
奈良ほてるの、荒池を眺める部屋を出て、近在を廻り、気が向けば随分遠くまで踏み出す気にもなるといふ、神無月柿の熟する頃、堀君の健康が、調子よく行
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