も、悲しい物語を聞いて、人生を深めたい、と言ふ寂しい望みが、女にも男にも起つてゐたからであらう。別に亦、「曠野」の前段と似たのもあつて、もう王氏とも言へぬほど遠くなつた孫王の末の娘御が、遠くへ行つた男とめぐりあつて、あつたと思ふと死んで行く。場処もあさましい土の床であつた。さうした思ふにも堪へ難い話などが幾つもあつた世の中である。更級日記の作者は、あんな風だつたけれども、よい事には、生れ年が訣つてゐる。堀君の同情を持つて書いた、も一人の女性、「かげろふの日記」を書いた人が亡くなつたのは、其より十三年前に当つてゐた。
堀君と会つた頃は、「かげろふの日記」を心に持つて居られたらしい。其で、いろんなさし出がましく聞える話などはしなかつた。勿論その時分既に、その後篇とも言ふべき、「ほととぎす」の部分も発表になつてゐた。原作が難解なと言ふより、日本の中世の女ぶみ[#「女ぶみ」に傍点]が、如何に書き綴られて、こんな表現をするのか、我々は昔から、其理由を解きかねて来た。其を堀君は、ちつとも読む人の心を混濁させることなく、書き方は原文から、一間づゝ遅らせるといふ行き方で、考へは其に反して、一間もふた間も進めて行つてる、と言つたぐあひ[#「ぐあひ」に傍点]に書きあげてゐる。事実、私は驚嘆した。堀君の詩人としての才能の上に、更に何かゞあることを感じて、尊敬を新にしたのは、其為であつた。
底本:「折口信夫全集 32」中央公論社
1998(平成10)年1月20日初版発行
初出:堀辰雄著「かげろふの日記・曠野」解説
1951(昭和26年)年7月
※底本の題名の下に書かれている「昭和二十六年七月、堀辰雄著「かげろふの日記・曠野」解説」はファイル末の「初出」欄に移しました。
入力:門田裕志
校正:多羅尾伴内
2003年12月27日作成
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