二つは、さかいに[#「さかいに」に傍線]すら、以前のやうには、使用せられてはゐない。
その中、さかいで[#「さかいで」に傍線]が一番早く流行圏外に出てしまうたが、近代の浄瑠璃・小説文学には、標準語と見てよいほどに、よく使はれてゐた。残る二つの中、さかいに[#「さかいに」に傍線]は、今遣ふ人にも古典的な感覚を持たれる様になつて、さかい[#「さかい」に傍線]のやうに緊密感を受けぬやうになつた。今後特殊な事情が加つて来ぬ限りは、さかい[#「さかい」に傍線]を限界として、その系統は消えてしまふか、でなければ、音韻の大飛躍が起つて来さうな気がする。――さう言ふ見きはめがつけられてゐる。其理由の一つは、既によほど以前から、よつて[#「よつて」に傍線]・によつて[#「によつて」に傍線]・よつてに[#「よつてに」に傍線]などが、なか/\勢を示してゐたからである。
さかいの[#「さかいの」は太字] さ[#「さ」は太字]
さかい[#「さかい」に傍線]のさ[#「さ」に傍線]については、素朴な語原説からすれば、「……ぢや[#「ぢや」に傍線] から[#「から」に傍線]」と言つた形を截り出して考へることが出来るのである。語尾らしく見えるかい[#「かい」に傍線]は、勿論から[#「から」に傍線]である。此だけは、何としても疑ひがない。
意義は違ふが、語形のそのまゝな、より[#「より」に傍線]・から[#「から」に傍線]の系統のから[#「から」に傍線]も、かい[#「かい」に傍線]と言ふ形で使はれることが多い。この方では、かい[#「かい」に傍線]とさ[#「さ」に傍線]・さに[#「さに」に傍線](様《サマ》から出たさ[#「さ」に傍線]に語尾に[#「に」に傍線]のついたもの)が、よく似た用途にあることは参考になる。「浮世風呂」でなくても、上方語と江戸語とを対照させて考へた人の頭に、すぐ浮んだえどつこ[#「えどつこ」に傍点]のから[#「から」に傍線]と上方のさかい[#「さかい」に傍線]とは、語の根幹から言へば、非常に近かつたのもおもしろい。
柳田先生はこゝに来て頗注意すべき意見を出して居られた。さかい[#「さかい」に傍線]のかい[#「かい」に傍線]の上にあるさ[#「さ」に傍線]はである[#「である」に傍線]の系統、ぢや[#「ぢや」に傍線]の類のものといふ風に一往は誰も考へるが、ひよつとすると、語気の上から、
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