、何といってもこの論争は大変面白い読物であると同時に探偵小説を学ぶものにとって益するところの多いものであった。
この論争の外に西田政治氏の毒草園、中島親氏の探偵小説月評があり、西田氏の毒草園は大朝の「天声人語」や大毎の「硯滴」流にすこぶる正鵠、シンラツなもので「ぷろふいる」誌第一の読物であった。中島親氏の月評も又堂々たるものでたしかに探偵小説が文芸として批評の対象たり得ることを示すと同時に、親氏自身立派に探偵小説評論の専門家として一家をなすに至っていた。
「ぷろふいる」はその誌の性質上新らしい作家を生み出すことに骨を折り、相当無名新人の作品を集めて優遇したが、なかなか新人を得ることが困難で僅かに大阪に蒼井雄君、鎌倉に西尾正君を発見した位のものであった。蒼井君は所謂気の利いた短篇物なぞは書けなかったがガッチリとした本格的な長篇物が得意で、それだけに大物という感じがあり将来を期待された人であったが、もっともかんじんな台頭時代事変のためにその後の消息を断つに至ったのは残念である。
平凡社の「大衆文学全集」が出たとき新進作家集としてその一冊が振り当てられ、森下雨村氏の監輯で当時新進であった十人の作家が集められたが、そのなかに現在の大家大下宇陀児氏、角田喜久雄氏、横溝正史氏なぞがあり、牧逸馬氏や川田功氏、なぞ故人となられた人達、それに山下利三郎氏や私のように折角作家としての台頭の機会に恵まれながら、その機会を逸した者なぞなかなかに感慨は深い。「探偵趣味」、「探偵文学」その他探偵雑誌のことなぞなかなかに思い出はつきないが今度「ぷろふいる」が再発行されるとなると、更に思出新たなるものがあるが命ぜられた紙数がつきたのでこれでやめることにしよう。
[#地付き](「ぷろふいる」一九四六年七月)
底本:「甦る推理雑誌2 「黒猫」傑作選」光文社文庫、光文社
2002(平成14)年11月20日初版1刷
初出:「ぷろふいる」
1946(昭和21)年7月
入力:鈴木厚司
校正:山本弘子
2010年4月21日作成
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