入し、宗教興隆と称して百姓ども仕来りの古儀旧式を撲滅せんとしたが、百姓にも五分の魂《たましい》なかなか承知せず、今に古儀旧法を墨守する者はなはだ多く、何でもなき宗儀作法の乖背《かいはい》から、民心帝室を離れ、皇帝を魔王《サタン》と呼ぶに及び、これが近世しばしば起こる百姓乱や虚無党や自殺|倶楽部《クラブ》の有力なる遠因となれり。盛邦、近年神道を興すとて瑣末な柏手《かしわで》の打ち様や歩き振りを神職養成と称して教えこみ、実は所得税を多く取らんために神職を増加し、その俸給を増さしめ、売れ行きの悪い公債証書を売りつけんために無理早速に神社基本金を積ましむる算段と思わる。財政の紊《みだ》れたるは救う日もあるべし。国民の気質が崩れては収拾し得べからず。われ貴国のために深くこれを惜しむ、とあり。岡目八目《おかめはちもく》で言いたいままの放語と思えど、久しく本邦に在留せし英人が、木戸、後藤諸氏草創の難に思い比べて、禁ぜんとして禁じ得ざる激語と見えたり。とにかく、かかる評判が外国著名の人より発せらるるは、近来日本公債が外国市場で非常に下落せるに参照してはなはだ面白からず。
正直の頭《こうべ》に宿るという神を奉祀する神職と、何の深い念慮なき月給取りが、あるいは脅迫あるいは甘言もて強いて人民に請願書に調印せしめ、さて政府に向かっては人民合祀を好んで請願すといい、人民に向かっては政府の厳命なり、違《たが》わば入獄さすべしとて二重に詐偽を行ないながら、褒美に預かり模範吏と推称せらるるは、これ民を導くに詐《いつわ》ることをもってするものにて、詐りより生ずることは必ず堂々と真面目一直線に行ない遂げぬものなり。すでに和歌山県ごときは、一方に合祀励行中の社あると同時に、他の一方には復社を許可さるるあり。この村には一年百円を費やさざれば古社も保存を許されぬに、かの村には一年二十円内外を払うて、しかも月次幣帛料を受くる社二、三並び存置さるるあり。今では前後雑糅、県庁も処分に持て余しおるなり。かかれば到底合祀の好結果は短日月に見るを得ざる、そのうちに人心離散、神道衰頽、罪悪増長、鬱憤発昂、何とも名状すべからざるに至らんことを杞憂す。
結局神社合祀は、内、人民を堕落せしめ、外、他国人の指嘲を招く所以《ゆえん》なれば、このこといまだ全国に普及せざる今日、断然その中止を命じ、合祀励行で止むを得ず合祀せし諸社の跡地完全に残存するものは、事情審査の上人民の懇望あらばこれが復旧を許可し、今後新たに神社を建てんとするものあらば、容易に許可せず、十二分の注意を加うることとし、さてまことに神道興隆を謀られなんには、今日自身の給料のために多年奉祀し、衣食し来たれる神社の撲滅を謳歌欣喜するごとき弱志反覆の俗神職らに一任せず、漸をもってその人を撰み、任じ、永久の年月を寛仮し規定して、急がず、しかも怠たらしめず、五千円なり一万円なり、十万、二十万円なり、その地その民に、応分に塵より積んで山ほどの基本財産を積ましめ、徐々に神職の俸給を増し、一社たりとも古社を多く存立せしめ、口先で愛国心を唱うるを止めて、アウギュスト・コムトが望みしごとく、神職が世間一切の相談役という大任に当たり、国福を増進し、聖化を賛翼し奉ることに尽力|※[#「※」は「いちた+亟」、532−15]瘁《きょくすい》するよう御示導あらんことを為政当局に望むなり。
右は請願書のようなれど、小生はかかる永たらしき請願書など出すつもりなし。何とぞ愛国篤志の人士が一人たりともこれを読んでその要を摘み、効目《ききめ》のあるよう演説されんことを望む。約は博より来たるというゆえ、心中存するところ一切余さず書き綴るものなり。
底本:「南方熊楠コレクション第五巻 森の思想」河出文庫、河出書房新社
1992(平成4)年3月10日初版発行
1992(平成4)年5月15日再販発行
底本の親本:「南方熊楠全集 第七巻」平凡社
入力:r.sawai
校正:鈴木伸吾
1999年8月18日公開
2001年7月16日修正
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