樹や土地に特有の珍生物は必ず多く神林神池に存するなり。三重県|阿田和《あたわ》の村社、引作《ひきつくり》神社に、周囲二丈の大杉、また全国一という目通り周囲四丈三尺すなわち直径一丈三尺余の大樟あり。これを伐りて三千円とかに売らんとて合祀を迫り、わずか五十余戸の村民これを嘆き、規定の神殿を建て、またさらに二千余円を積み立てしもなお脅迫止まず。合祀を肯《がえ》んぜずんば刑罰を加うべしとの言で、止むを得ず合祀請願書に調印せるは去年末のことという。金銭の外を知らずと嘲らるる米国人すら、カリフォルニアの巨柏《ビグトリー》など抜群の注意して保存しおり。二十二年ばかり前、予が訪いしニューゼルシー州の一所に、フサシダの一種なる小草を特産する草原などは、兵卒が守りおりたり。英国やドイツには、寺院の古|※[#「※」は「きへん+解」、525−14]《かしわ》、老|水松《いちのき》をことごとく謄記して保護を励行しおるに、わが邦には伐木の励行とは驚くの外なし。されば例の似而非《えせ》神職ら枯槁せぬ木を枯損木として伐採を請願すること絶えず。
 むかしは熊野の梛《なぎ》は全国に聞こえ渡れる名木で、その葉をいかに強く牽《ひ》くも切れず、夫《おっと》に離れぬ守りに日本中の婦女が便宜してその葉を求め鏡の裏に保存し、また武士の金打《きんちょう》同様に女人はこの梛の葉を引きて誓言せり。定家卿が後鳥羽上皇に随い熊野に詣りし時の歌にも、「千早振る熊野の宮のなぎの葉を変はらぬ千代の例《ため》しにぞ折る」とあり。しかるに濫伐や移栽のために三山に今は全滅し、ようやく那智社境内に小さきもの一本あり。いろいろ穿鑿せしに、西牟婁郡の鳥巣《とりのす》という浦の社地小丘林中におびただしく自生せり。これも合祀されたから、早晩全滅ならん。すなわち熊野の名物が絶えおわるなり。オガタマノキは、神道に古く因縁深き木なるが、九州に自生ありというが、その他に大木あるは紀州の社地のみなり。合祀のため著しく減ぜり。ツグノキ、バクチノキなどは半熱帯地の木で、田辺付近の神林にのみ多かりしが、合祀のため今わずかに一、二株を存す。熊野の名産ナンカクラン、ガンゼキランその他希珍の托生蘭類も多く合祀で絶える。ワンジュ、キシュウスゲなど世界有数の珍なるも、合祀で全滅せんとするをわずかに有志の注意で止めおる。タニワタリ、カラタチバナ、マツバランなど多様の園芸植物の原産も合祀で多く絶えんとす。
 熊楠は帰朝後十二年紀州におり、ずいぶん少なからぬ私財を投じ、主として顕微鏡的の微細植物を集めしが、合祀のため現品が年々滅絶して生きたまま研究を続け得ず。空しく図画と解説の不十分なもののみが残存せり。ウォルフィアというは顕花植物の最微なるものなるが、台湾で洋人が採りしと聞くのみ。和歌浦辺の弁天の小祠の手水鉢より少々予見出だしたる以後見ることなし。ウォフィオシチウムなる微細の藻は多種あるが、いずれも拳螺旋状《さざいのまきかた》をなす。西牟婁郡湊村の神楽神社《かぐらのやしろ》辺の小溜水より得たるは、従来聞かざる珍種で、蝸牛《かたつむり》のごとく平面に螺旋す。かくのごとく微細生物も、手水鉢や神池の石質土質に従っていろいろと珍品奇種多きも、合祀のために一たび失われてまた見る能わざる例多し。紀州のみかかる生物絶滅が行なわるるかと言うに然らず。伊勢で始めて見出だせしホンゴウソウという奇草は、合祀で亡びんとするを村長の好意でようやく保留す。イセデンダという珍品の羊歯《しだ》は、発見地が合祀で畑にされ全滅しおわる。スジヒトツバという羊歯は、本州には伊勢の外宮にのみ残り、熊野で予が発見せしは合祀で全滅せり。
 日本の誇りとすべき特異貴重の諸生物を滅し、また本島、九州、四国、琉球等の地理地質の沿革を研究するに大必要なる天然産植物の分布を攪乱|雑糅《ざつじゅう》、また秩序あらざらしむるものは、主として神社の合祀なり。本多〔静‖六〕博士は備前摂播地方で学術上天然植物帯を考察すべき所は神社のみといわれたり。和歌山県もまた平地の天然産生物分布と生態を研究すべきは神林のみ。その神林を全滅されて、有田、日高二郡ごときは、すでに研究の地を失えるなり。本州に紀州のみが半熱帯の生物を多く産するは、大いに査察を要する必要事なり。しかるに何の惜しげなくこれを滅尽するは、科学を重んずる外国に対して恥ずべきの至りなり。あるいは天然物は神社と別なり、相当に別方法をもって保存すべしといわんか。そは金銭あり余れる米国などで初めて行なわれるべきことにて、実は前述ごとく欧米人いずれも、わが邦が手軽く神社によって何の費用なしに従来珍草奇木異様の諸生物を保存し来たれるを羨むものなり。
 近く英国にも、友人バサー博士ら、人民をして土地に安着せしめんとならば、その土地の事歴と天産物に通暁せしむる
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