しより、島津大いに恨み一向宗を厳禁せしも、士庶のその宗旨を奉ずる者、弥陀仏像を柱の中に収め朝夕|看経《かんきん》して維新後に及べり、と。白石が岩松氏に与えたる書翰にも、甲州の原虎胤が信玄より改宗を勧められて肯《がえ》んぜず相模に走りしことや、内藤如安、高山友祥が天主教を止めず、甘んじて呂宋《ルソン》に趣きしことを論じて、こは宗教上の迷信厚きに過ぎしのみなるべからず、実は祖先来自分が思い込んで崇奉する宗旨を、何の訳もなく、当時の執政当局者に気に入らぬという一事のみのゆえに、たちまち棄てて顧みずとは、いかにも人間らしく、男らしくも、武士らしくもないと思い詰めたる意気の上より出でたることならん、と言えり。
 上述の村民らの志も、また愛国抗外心の一原素として強いて咎むべからざるにや。また西行の『山家集』に名高き八上王子《やかみのおうじ》、平重盛が祈死で名高き岩田王子等も、儼然として立派に存立しおるを、岩田村役場の直前なる、もと炭焼き男の庭の鎮守たりし小祠を村社と指定し、これに合併し、その跡の神林(シイノキの大密林なり、伊藤篤太郎博士の説に、支那、日本にのみ見る物なれば、もっとも保護されたしとのこと)、カラタチバナなどいう珍植物多きを伐り尽して、村吏や二、三の富人の私利を営まんと巧みしを、有志の抗議で合祀は中止したが、無理往生に差し出さしめたる合祀請願書は取り消さざるゆえ、何時亡びるか分からず。全国に目下合祀準備中のもの二万二千余あると、当局が得々と語るは、多くはこの類の神社暴滅に罹《かか》らんとするものと知らる。モンテスキューいわく、虐政の最も虐なるは法に執《しゅう》して虐を行なうものなり、と。吾輩外国人の書を読み、かかる虐政行なわれたればこそ仏国に大不祥の事変を生出せるなれと、余所事《よそごと》に聞き流したる当時を、今となって反って恋しく思うなり。
 次に熊野第二の宮と呼ばるる高原王子は、八百歳という老大樟あり。その木を※[#「※」は「亞+きん」、495−8]《けず》りて神体とす。この木を伐らせ、コミッションを得んとする役人ら、毎度合祀を勧めしも、その地に豪傑あり、おもえらく、政府真に合祀を行なわんとならば、兵卒また警吏を派して一切人民の苦情を払い去り、一挙して片端から気に入らぬ神社を潰して可なり。しかるに、迂遠千万にも毎々旅費日当を費やし官公吏を派し、その人々の、あるいは脅迫し、あるいは甘言して請願書に調印を求むること、怪しむに堪えたり。必竟合祠の強行は政府の本意にあらじ、小役人私利のためにするところならんとて、五千円の基本金を一人して受け合う。さてその金の催促に来るごとに、役人を近村の料理屋へ連れ行き乱酔せしめ、日程尽き、役人|忙《あわ》て去ること毎度なり。そのうちに基本金多からずとも維持の見込み確かならば合祀に及ばずということで、この社は残る。
 次の十丈《じゅうじょう》の王子は、役場からその辺の博徒二人に誨《おし》えて、汝らこの社に因縁ある者と称えて合祀を願い出でよ、しかる時は酬《むく》ゆるに神林の幾分を与うべしとのことで、終《つい》に合祀す。件の悪党、自分にくれた物と思い、その樹林を伐採して売りしを、盗伐と称え告訴し、二人入獄、一人は牢死せり。官公吏が合祀を濫用して姦を勧め、史蹟名勝を滅せし例は、この他にも多く、これがため山地は土崩れ、岩墜ち、風水の難おびただしく、県庁も気がつき、今月たちまち樹林を開墾するを禁ずるに及べり。しかれども合祀依然行なわれおれば、この禁令も何の功なからん。かかる弊害は、紀州のみならず、埼玉、福島、岡山、鳥取諸県よりも聞き及ぶ。
 合祀濫用のもっともはなはだしき一例は紀州西牟婁郡近野村で、この村には史書に明記せる古帝皇奉幣の古社六つあり(近露王子、野中王子、比曽原王子、中川王子、湯川王子、小広王子)。一村に至尊、ことにわが朝の英主と聞こえたる後鳥羽院の御史蹟六つまで存するは、恐悦に堪えざるべきはずなるに、二、三の村民、村吏ら、神林を伐りて営利せんがため、不都合にも平田内相すでに地方官を戒飭《かいちょく》し、五千円を積まずとも維持確実ならば合祀に及ばずと令したるはるか後に、いずれも維持困難なりと詐《いつわ》り、樹木も地価も皆無なる禿山頂へ、その地に何の由緒なき無格社金毘羅社というを突然造立し、村中の神社大小十二ことごとくこれに合祀し、合祀の日、神職、衆人と神体を玩弄してその評価をなすこと古道具に異ならず。この神職はもと負荷人足《にもちにんそく》の成上りで、一昨冬妻と口論し、妻首|縊《くく》り死せる者なり。かくて神林伐採の許可を得たるが、その春日社趾には目通り一丈八尺以上の周囲ある古老杉三本あり。
 また野中王子社趾には、いわゆる一方杉とて、大老杉、目通り周囲一丈三尺以上のもの八本あり。そのうち両社共
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