むるには別にその土泥を容るべき大湖を穿たざるべからざるに気づかず、利獲のみ念じ過ぎて神林を亡《うしな》えば、これ田地に大有害の虫※[#「※」は「くさかんむり+巛(まがりかわ)+田」、529−14]《ちゅうさい》を招致する所以《ゆえん》なるを思わず、非義|饕餮《とうてつ》の神職より口先ばかりの陳腐な説教を無理に聞かせて、その聴衆がこれを聞かぬうちから、はや彼輩の非義我慾に感染すべきを想わざるは無念至極なり。この神職輩の年に一度という講習大会の様子を見るに、[#以下、この段落の数字付き()は一字扱いである。](1)素盞嗚尊《すさのおのみこと》と月読尊《つきよみのみこと》とは同神か異神か、(2)高天の原は何方《いずかた》にありや、(3)持統天皇、春過ぎての歌の真意|如何《いかん》など、呆れ返ったことを問いに県属が来るに、よい加減な返事を一、二人の先達がするを、十余人が黙して聞きおるなり。米の安からぬ世に、さりとは無用の人のために冗職を設けることと驚き入るばかりなり。かかる人物は、当分史蹟天然物保存会の番人として神社を守らしめ、追い追いその人を撰み、その俸給を増さんことこそ願わるれ。世に喧伝する平田内相報徳宗にかぶれ、神社を滅するは無税地を有税地となすの近道なりとて、もっとも合祀を励行されしという。いずくんぞ知らん、その報徳宗の元祖二宮氏は、田をむやみに多く開くよりは、少々の田を念入れて耕せ、と説きしにあらずや。たとい田畑開け国庫に収入増したりとて、国民元気を喪い、我利これ※[#「※」は「冒+ちから」、530−8]《つと》め、はなはだしきは千百年来の由緒あり、いずれも皇室に縁故ある諸神を祀れる神社を破壊、公売するより、見習うて不届き至極の破壊主義を思いつくようでは、国家に取りて何たる不祥事ぞ。
 近ごろ英国高名の勢力家で、しばしば日本学会でわが公使、大使に対し聖上の御為《おんため》に乾盃を上ぐる役を勧めたる名士よりの来状にいわく、むかし外夷種がローマ帝国を支配するに及び、政略上よりキリスト教に改宗してローマ在来の宗教が偶像を祭るは罪深しとてこれを厳禁したのは、人民に親切でも何でもなく、実は古教の堂塔に蔵せる無数の財宝を奪うて官庫に充《み》てんがためなりし。よって古教亡びてまもなくローマ帝国の民元気沮喪し四分八裂して亡滅しぬ。露国もまた彼得《ペートル》帝以来不断西欧の文化を輸
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