べきに、無茶苦茶に乱滅しおわるは、あたかも皇族華冑の遺跡が分からぬうちに乱滅するは結句厄介払いというように相聞こえ、まことに恐懼憤慨の至りなり。合祀が、史蹟を乱すと、風俗制度の古えを察するに大害あること、かくのごとし。
 第八、合祀は天然風景と天然記念物を亡滅す。このことまた史蹟天然物保存会の首唱するところなれば、小生の蛇足を俟《ま》たず。しかし、かの会より神社合祀に関して公けに反対説の出でしを聞かぬが遺憾なれば、少々言わんに、西牟婁郡|大内川《おおうちがわ》の神社ことごとく日置川《ひきかわ》という大河の向いの大字へ合わされ、少々水が出れば参詣途絶す。その民、神を拝むこと成らぬよりヤケになり、天理教に化する者多く、大字内の神林をことごとく伐らんと願い出でたり。すでに神社なければ神林存するも何かせんとの意中もっともなところもあるなり。かかる例また少なからず、大いに風景を損ずることなり。定家卿なりしか俊成卿なりしか忘れたり、和歌はわが国の曼陀羅《まんだら》なりと言いしとか。小生思うに、わが国特有の天然風景はわが国の曼陀羅ならん。前にもいえるごとく、至道は言語筆舌の必ず説き勧め喩《さと》し解せしめ得べきにあらず。その人善心なくんば、いかに多く物事を知り理窟を明らめたりとて何の益あらん。されば上智の人は特別として、凡人には、景色でも眺めて彼処《かしこ》が気に入れり、此処《ここ》が面白いという処より案じ入りて、人に言い得ず、みずからも解し果たさざるあいだに、何となく至道をぼんやりと感じ得(真如)、しばらくなりとも半日一日なりとも邪念を払い得、すでに善を思わず、いずくんぞ悪を思わんやの域にあらしめんこと、学校教育などの及ぶべからざる大教育ならん。かかる境涯に毎々到り得なば、その人三十一字を綴り得ずとも、その趣きは歌人なり。日夜悪念去らず、妄執に繋縛《けいばく》さるる者の企て及ぶべからざる、いわゆる不言《いわず》して名教中の楽土に安心し得る者なり。無用のことのようで、風景ほど実に人世に有用なるものは少なしと知るべし。ただし、小生はかかることを思う存分書き表わし得ず、その辺は察せられんことを望む。
 またわが国の神林には、その地固有の天然林を千年数百年来残存せるもの多し。これに加うるに、その地に珍しき諸植物は毎度毎度神に献ずるとて植え加えられたれば、珍草木を存すること多く、偉大の老
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