合併せんと力《つと》めおれり。
第六に、神社合祀は土地の治安と利益に大害あり。むかし孔子に子貢が問いけるは、殷の法に灰を衢《まち》に棄つる者を※[#「※」は「月+りっとう」、515−8]罪《あしきり》に処せるは苛酷に過ぎぬか、と。孔子答えていわく、決して苛酷ならず、灰を衢に棄つれば風吹くごとに衣服を汚し、人々不快を懐《いだ》く、自然に喧花《けんか》多く大事を惹き起こさん、故に一人を刑して万人慎むの法なり、と。西洋諸国、土一升に金一升を惜しまず鋭意して公園を設くるも、人々に不快の念を懐かしめず、民心を和《やわ》らげ世を安んぜんとするなり。わが邦幸いに従来大字ごとに神社あり仏閣ありて人民の労働を慰め、信仰の念を高むると同時に、一挙して和楽慰安の所を与えつつ、また地震、火難等の折に臨んで避難の地を準備したるなり。今聞くがごとくんば、名を整理に借りてこれら無用のごとくして実は経世の大用ある諸境内地を狭めんとするは、国のためにすこぶる憂うべし。
近ごろ本邦村落の凋落はなはだしく、百姓|稼穡《かしょく》を楽しまず、相|率《ひき》いて都市に流浪し出で、悪事をなす者多し。これを救済せんとて山口県等では盆踊り[#底本では「貧踊り」と誤植]をすら解禁し、田中正平氏らはこれを主張す。かかる弊事多きことすら解禁して村民を安んぜんとするも、盆踊りは年中踊り通すべきものにあらず。さて一方には神社ごとき清浄無垢在来通りで何の不都合なき本邦固有特色の快楽場を滅却せしめ、富人豪族が神社跡に別荘を立て、はなはだしきは娼妓屋を開きなどするに、貧民の婦女児童は従来と異《かわ》り、また神社に詣でて無邪気の遊戯を神林中に催すを得ず。大道に匍匐《ほふく》して自転車に傷つけられ、田畑に踏み込んで事を起こし、延いて双方親同士の争闘となり、郷党二つに分かれて大騒ぎし、その筋の手を煩わすなどのこと多きは、取りも直さず、灰を市に棄つるを禁ぜずして国中争乱絶えざるを致すと同じく、合祀励行の官公吏は、故《ことさ》らに衢に灰を撒きて、人民を争闘せしむるに同じ。従来誰も彼も往きて遊び散策し、清浄の空気を吸い、春花秋月を愛賞し得たる神社の趾が、一朝富家の独占に帰するを見て、誰かこれを怡《よろこ》ばん。貧人が富人を嫉《ねた》むは、多くかかることより出づるなり。危険思想を慮る政府が、かかる不公平を奨励すべきにあらず。
また佐々木
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