3]爾《さいじ》たる軽き建築ゆえ、わざわざこんな物を見に来るより、自国におりて広重や北斎のむかしの神社の浮世絵を集むるがましと長大息して、去りて再び来たらず。
 邦人はまた急に信仰心が薄くなり、神社に詣るも家におるも感情に何の異《かわ》りなく、その上合祀で十社二十社まるで眼白鳥《めじろ》が籠中に押し合うごとく詰め込まれて境内も狭くなり、少し迂闊《うか》とすれば柱や燈架《ガスとうだい》に行き中《あた》り、犬の屎《くそ》を踏み腹立つのみ。稲八金天大明権現王子《いなはちこんてんだいみょうごんげんのおうじ》と神様の合資会社で、混雑千万、俗臭紛々|難有味《ありがたみ》少しもなく、頭痛胸悪くなりて逃げて行く。小山健三氏、かつて日本人のもっとも快活なる一事は休暇日に古社に詣り、社殿前に立ちて精神を澄ますにあり、と言いしとか。かかることはむかしの夢で、如上の混成社団に望むべくもあらず。およそいかなる末枝小道にも、言語筆舌に述べ得ざる奥儀あり。いわんや、国民の気質品性を幾千年養成し来たれる宗教においてをや。合祀は敬神思想を盛んにすと口先で千度説くも何の功なきは、全国で第二番に合祀の多く行なわれたる和歌山県に、全国最多数の大逆徒と、無類最多数の官公吏犯罪(昨年春までに二十二人)を出し、また肝心の神職中より那智山事件ごとき破廉恥の神官を出せるにて知るべし。また近年まで外国人口を揃えて、日本人は一種欧米人に見得ざる謹慎優雅の風あり、といえり。封建の世に圧制され、鎖国で閑《ひま》多かりしゆえにもあるべけれど、要は到る処神社古くより存立し、斎忌《ものいみ》の制厳重にして、幼少より崇神の念を頭から足の先まで浸潤せることもっともその力多かりしなり。(このことは、明治三十年夏、ブリストル開会の英国科学奨励会人類学部発表の日、部長の演説に次いで、熊楠、「日本斎忌考」《ゼ・タブー・システム・イン・ジャパン》[#前述の振りがなは論文題名の英訳と思われるが、底本では振りがなとして処理している。以下の同例も《》付きの振りがなとして記しておく。]と題し、読みたり。)
 神社の人民に及ぼす感化力は、これを述べんとするに言語杜絶す。いわゆる「何事のおはしますかを知らねども有難さにぞ涙こぼるる」ものなり。似而非《えせ》神職の説教などに待つことにあらず。神道は宗教に違いなきも、言論理窟で人を説き伏せる教えにあらず。本居
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