。故に、あまりに威儀厳重なる大神社などを漁夫、猟師に押しつくるは事件の基なり。
 また日高郡|原谷《はらたに》という所でも、合祀の遺恨より、刀で人を刃せしことあり。東牟婁郡|佐田《さだ》および添《そえ》の川《かわ》では、一昨春合祀反対の暴動すら起これり。また同郡|高田《たかだ》村は、白昼にも他村人が一人で往きかぬるさびしき所なり。その南檜杖《みなみひつえ》大字の天王の社は、官幣大社|三輪《みわの》明神と同じく社殿なく古来老樹のみ立てり。しかるに、社殿あらば合祀を免ると聞き、わずか十八戸の民が五百余円出し社殿を建つ。この村三大字各一社あり。いずれも十分に維持し来たりしを、四十一年に至り一村一社の制を振り舞《まわ》し、せっかく建てたる社殿を潰し他の大字へ合祀を命じたるに、何の大字一つへ合祀すべきか決せず。四十三年二月末、郡長その村の神社関係人一同を郡役所へ招き、無理に合祀の位置を郡長に一任と議決せしめ、その祝賀とて新宮町の三好屋で大宴会、酒二百八十余本を飲み一夜に八十円費やさしめ、村民大不服にて合祀承諾書に調印せず。総代輩困却して逃竄《とうざん》し、その後召喚するも出頭せず。よって警察所罰令により一円ずつの科料を課せり。かくて前後七回遠路を召喚されしも、今に方つかずと、神社滅亡を喜悦するが例なるキリスト教徒すら、官公吏の亡状を厭うのあまり告げ来たれり。これらにて、合祀は民の和融を妨げ、加えて官衙の威信をみずから損傷するを知るべし。
 第三、合祀は地方を衰微せしむ。従来地方の諸神社は、社殿と社地また多くはこれに伴う神林あり、あるいは神田あり。別に基本財産というべき金なくとも、氏子みな入費を支弁し、社殿の改修、祭典の用意をなし、何不足なく数百年を面白く経過し来たりしなり。今この不景気連年絶えざる時節に、何の急事にあらざるを、大急ぎで基本財産とか神社の設備とか神職の増俸とかを強いるは心得がたし。あるいは大逆徒出でてより、在朝者、神社を宏壮にし神職に威力を賦して思想界を取り締らしめんとて、さてこそ合祀を一層励行すといえど、本県ごとき神武帝の御古社を滅却したり、新宮中の諸古社をことごとく公売したりせるのちに、その地より六人という最多数の大逆徒を出せるを見る者、誰かその本末の顛倒に呆れざらん。また、只今ごとき無慙無義にして神社を潰して自分の俸給を上げんことのみ※[#「※」は「冒+力
前へ 次へ
全36ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング