めだなど大音で言う(『郷土研究』一巻六六八頁)。
さて一年の計は新年にありで、鼠害を減ずるため、支那で七日とか十日とかの夜、鼠の名を呼ばず馳走し、日本でも貴族の奥向きで三ヶ日間ネズミと呼ばずヨメと替え名したのだ。明暦二年板|貞室《ていしつ》の『玉海《ぎょっかい》集』に「ヨメをとりたる宿の賑《にぎわ》ひ」「小鼠をくはへた小猫ほめ立てゝ 貞徳」、加藤雀庵はヨメは其角の句に見えたヨメが君の略で、『定頼卿家集』に、尼上の蓮の数珠《じゅず》を鼠の食いたりけるを見て「よめのこの蓮の玉を食ひけるは、罪失はむとや思ふらむ」、このヨメノコからヨメガ君が出ただろう、ヨメは夜目なるべしと言った(『囀《さえず》り草』虫の夢の巻)。まあそんな事であろう。かく当夜謹慎して鼠を饗するは年中の鼠害をなるべく差し控えてもらう心から出たのを、鼠はその頃交わるもの故、鼠の婚儀を祝うものと心得るに及び、和漢ともに鼠の嫁入りと称うるに至ったのだ。
今村鞆君の『朝鮮風俗集』に、正月の一番初めの子の日、農民争うて田野に出で、野原を燃す。これを鼠火戯という。かくすればこの歳野草繁茂すという。鼠が牧畜に必要な草や人間大事の穀物を損
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