天神を勧請しけるにや、ねずとは鼠の社の心にやとあり云々。按ずるに古くは子《ね》の権現といえりしを、子はすなわち鼠なるにより下略して子ず権現と称《とな》えしより、寛文の頃に至っては不寝と書きしより、なお元禄の末までも不寝権現とは書き来りしならん云々、さるを宝永三年根津左衛門が霊を合せ祭りて、根津の文字に改められしものなるべしと。またいわく都城必ず四神を祀り以て四方を鎮す、子はすなわち北方玄武神、世俗これを子聖《ねひじり》あるいは鼠のほこらというと、これは拠って按ずるに、太田道灌江戸造立の時祀りし社なる事疑いなし、その方角すなわち北に当れり云々。またいわく伊豆国下田の近郷、中の瀬村の鎮守を子の聖権現といえり、この神、餅を忌み嫌いたもうとて、中の瀬一郷、年の終りに餅を搗《つ》かず、焼飯に青菜を交えて羮《あつもの》となし、三ヶ日の雑煮に易《か》えるとぞ、これも珍しと。これについて何か一勘弁付きそうな物と藤沢君の『伝説』伊豆の巻を穴ぐり調べたが一向載っていない。とにかく根津社はもと大黒天に関係なく、鼠害を静むるため鼠を祝い込めた社で、子の聖権現は馬鹿に鼠を嫌う神と見える。
多い神仏の内には豪気
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