むと侍れば、唐土にもかゝる事の侍るにや」。昔は子の日の御宴あり、『万葉集』に天平宝字二年春正月三日侍従、竪子《じゅし》、王臣等を召し玉帚《たまばはき》を賜い肆宴《しえん》せしむ、その時|大伴宿弥家持《おおとものすくねやかもち》が詠んだは「初春の初子《はつね》のけふの玉帚、手に取るからに動《ゆら》ぐ玉の緒」。『八雲御抄《やくもみしょう》』に曰く、初春の初子にかくすれば命ものぶるなり、『袖中抄』に曰く、この玉帚とは蓍《めどき》という草に子の日の小松を引き具して帚に作りて、田舎の家に正月初子に蚕飼する屋を帚初むる事云々。『朗詠』註に子の日の遊びとは正月初子に野に出でて遊ぶなり、子の日を賞するに仔細あり、子は北方なり、北洲の千年を象《かたど》る松によれば、人も千年の齢《よわい》を保つべきなり。『公事《くじ》根源』を見るに中朝この遊び盛んに、円融帝寛和元年二月十三日に行われたのは殊に振《ふる》った物だったらしく、幄《とばり》の屋を設け幔《まく》を引き廻らし、小庭と為《し》て小松をひしと植えられたりとある。『華実年浪草』一上に引いた『髄脳抄』には才媛|伊勢《いせ》が子の日の松を引き来ってその家に植
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