クソンの『グジャラット民俗記』一九一四年ボンベイ板、七一頁)。仏典にも宋の法賢訳『頻那夜迦天《びなやかてん》成就儀軌経』にこの神の像を種々に造り、種々の法で祭り、種々の願を掛くる次第を説きある。聚落《しゅうらく》人をみな戦わせ、人の酒を腐らせ、美しい童女をして別人に嫁ぐを好まざらしめ、夢中に童女と通じ、市中の人をことごとく裸で躍らせ、女をして裸で水を負うて躍らせ、貨財を求め、後家に惚れられ、商店をはやらなくし、夫婦を睦《むつま》じくし、自分の身を人に見せず、一切人民を狂わせ、敵軍を全滅せしめ、童女を己れ一人に倶移等来《ぐいとこ》させ、帝釈天に打ち勝ち、人を馬鹿にしてその妻女男女を取り、人家を焼き、大水を起し、その他種々雑多の悪事濫行を歓喜天のおかげで成就する方を述べある。ダガ余り大きな声で数え立てると叱られるからやめる。
 斧と槌がもと同器だった事は上に述べた。晋の区純《おうじゅん》は鼠が門を出かかると木偶《でく》が槌で打ち殺す機関《からくり》を作った(『類函』四三二)。北欧のトール神の槌は専ら抛《なげう》って鬼を殺した。そのごとく大黒の槌はガネサの斧の変作で、厨《くりや》を荒らす鼠を平らぐるが本意とみえる。また現今ヴィシュヌ宗徒の追善用の厨器にガネサを画くなどより、大黒が全然ガネサの変形でないまでもその形相は多くガネサより因襲したと惟《おも》わる。唐の不空が詔を奉じて訳した『金剛恐怖集会方広軌儀観自在菩薩三世最勝心明王経』という法成寺からツリを取るほど長い題目の仏典に、摩訶迦羅天《まかからてん》は大黒天なり、象皮を披《ひら》き横に一槍を把《と》る云々。石橋君がその著八六頁に『一切経|音義《おんぎ》』より文、『諸尊図像鈔』より図を出したのをみるに、日本化しない大黒天の本像は八|臂《ぴ》で、前の二手に一剣を横たえた状が、現今インドのガネサが一牙を口吻《こうふん》に横たえたるに似、後ろの二手で肩上に一枚の白象皮を張り、而《しか》して画にはないが文には足下に一の地神女あり、双手でその足を受くとある。象皮を張ったは大黒もと象頭のガネサより転成せしを示す。ボンベイの俗伝にガネサその乗る所の鼠の背より落ち、月これを笑うて罰せられたという事あり(クルック、一巻一三頁)。大黒像もガネサより因襲して鼠に乗りもしくは踏みおったが、梵徒は鼠を忌む故(一九一五年ボンベイ板、ジャクソンの『コンカン民俗記』八四頁)、追い追い鼠を廃し女神を代用したと見える。
 明治二十四、五年の間予西インド諸島にあり落魄《らくはく》して象芸師につき廻った。その時象が些細な蟹や鼠を見て太《いた》く不安を感ずるを睹《み》た。その後《のち》『五雑俎』に象は鼠を畏《おそ》るとあるを読んだ。また『閑窓自語』を見るに、享保十四年広南国より象を渡しし術を聞きしに「この獣極めて鼠をいむ故に、舟の内に程《ほど》を測り、箱のごとき物を拵え鼠をいれ、上に綱をはりおくに、象これをみて鼠を外へ出さじと、四足にてかの箱の上をふたぐ、これに心を入るる故に数日船中に立つとぞ。しからざれば、この獣水をもえたる故に、たちまち海を渡りて還るとなん」とあり。この事和漢書のほかまたありやと疑問を大正十三年ロンドン発行『ノーツ・エンド・キーリス』一四六巻三八〇頁に出したを答えが出ず、かれこれするうち自分で見出したから十四年七月の同誌へ出し英書にこの事記しあるを英人に教えやった。すなわち一九〇五年ロンドン出板ハズリットの『諸信および俚伝』一の二〇七頁に「観察に基づいた信念に、象は野猪の呻き声のみならずトカゲなどの小さい物に逢っても自ら防ぐ事むつかしと感じ駭《おどろ》くという事あり、欧州へ将来する象を見るに藁の中に潜むハツカ鼠を見て狼狽《ろうばい》するが常なり」と載す。かく象が甚《いた》く鼠を嫌う故、大黒が鼠を制伏した体を表わして神威を掲げた事、今日インドで象頭神ガネサが鼠にのる処を画き、昔ギリシアのアポロ神がクリノスより献じた年供《ねんぐ》を盗んだ鼠を射殺したので、その神官が鼠に乗る体を画いたと同意と考う。と書きおわってグベルナチス伯の『動物譚原』二の六八頁を見るに、ガネサは足で鼠を踏み潰すとある故、ますます自見の当れるを知った。古ローマの地獄王后ブロセルビナの面帽は多くの鼠を散らし縫った(一八四五年パリ板、コラン・ド・ブランシーの『妖怪辞彙』三九三頁)。鼠は冬蟄し、この女神も冬は地府に帰るを表わしたのだ。それから推して大黒足下の女神は鼠の精と知れる。されば、増長、広目《こうもく》二天が悪鬼毒竜をふみ、小栗《おぐり》判官《はんがん》、和藤内《わとうない》が悍馬《かんば》猛虎に跨《またが》るごとく、ガネサに模し作られた大黒天は初め鼠を踏み、次に乗る所を像に作られたが、厨神として台所荒しの鼠を制伏するの義は、上述中禅寺の
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