福授けの蜈蚣《むかで》を売ったとあるなど、魔王でも悪虫でも拝めば無害で役に立ちくれると信じての事で、世に近隣の小言を顧みず、ペスト流行にもかかわらず、鼠を多く活かし供養して大黒天に幸いを求むる者の心また同じ。故|陸奥《むつ》伯の父伊達自得翁この田辺に久しく囚われたうち筆した『余身帰り』に「鼠の夜ごとに出でくるを、これならで訪う物もなき宿なりと思うも哀れにて、果子など投げやるにようよう馴《な》れ顔にて経など読み居る机の前につい居るもおかし。ともすれば油を吸い燈をけすほどに、人々|悪《にく》みて打ち殺してんなどいわば、これに向いてわれは許すとも人は赦さず、今はな来そ、よくあらじといい聞かすを心得たりけん、その後はいつしかこずなりぬ。かくてほどへてある夜枕|辺《べ》の畳を咬み鳴らす音す。驚きて見れば鼠なり。ししと追わば逃げ入りぬ。再び眠るほどにまた来りて咬み鳴らす事|糸《いと》騒がし。枕を擡《もた》ぐればまた逃げ入る。何を求むるにか、食物のある所にもあらず。枕近く来りて眠りを驚かすはいかなる心ならんと思うほどに、『五雑俎』に、占書に狼恭し鼠拱すれば主の大吉といえりという条に、近時の一名公早朝靴を穿《うが》たんとするに、すでに一足を陥れて鼠あり、人のごとく立ちて拱す、再三叱れども退かず、公怒り一靴を取りてこれに投ぐるに、中に巨|※[#「兀のにょうの形+虫」、第4水準2−87−29]《き》尺余なるありて墜《お》ちたり、鼠すなわち見えず、憎むべきの物を以てまた能く人のために患を防ぐは怪しむべしとあるを思い出で、もしさる事もやと衾《ふすま》を※[#「塞」の「土」に代えて「衣」、第3水準1−91−84]《かか》げ見れば糸《いと》大いなる蜈蚣《むかで》の傴《くぐ》まりいたりければすなわち取りて捨てつ。糸|可笑《おか》しくもくるやと思いいるにさて後は音なくなりぬ。偶然の事なめれども、もしまた前の報いしたるならば下劣の鼠すらなお恩は知るものと哀れなり」。
 ジスレリの『文海奇観』に、禁獄された人が絃を鼓する事数日にして鼠と蜘蛛《くも》が夥しく出で来り、その人を囲んで聴きおりさて弾じやむと各《おのおの》退いた。さて毎度弾ずるごとに大入り故、獄吏に請いて猫を隠し置き、音楽で鼠を集めて夢中になって感心しいる処を掩殺《えんさつ》させたとある。鼠や蜘蛛がそれほど音楽を好むかは知らぬが、列子やダーウ
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