虫を鏖殺《おうさつ》し、その夜家鼠を饗して、汝ら野鼠ごとく焼き殺さるるを好まずば年中音なしくせよ、さすればこの通り饗応しやると、恩威並び行いしより変って鼠の嫁入り祝いとも、子の日の遊びともなったと惟《おも》う。上子の子の剋《こく》、臼を搗《つ》けば鼠種尽きるというも実は本末顛倒で、鼠が殺し尽されて今年の収穫は早この通りと、臼をつく多忙を示し祝う意に出たと考う。マレイ人は野を焼かば鼠を殺すからその祟りで小児が病むと信ず(一八九六年板、英訳ラツェルの『人類史』一巻四七二頁)、クルックの『北印度俗教および民俗』二四二頁にはインド人鼠を殺すを大罪とし、鼠騒げば家婦日を期して餅をやるから静まれといわば静まる、が、長からぬ内にまた始めると載す。
露国でフィリップ尊者忌の夜珍な行事あり。油虫を駆除するためにその一疋を糸で括《くく》り、家内一同だんまりで戸より引き出す内、家中の一婦髪を乱して窓に立ち、その虫が閾《しきみ》近くなった時、今夜断食の前に何をたべると問うと、一人牛肉と答え、油虫は何をたべると問うと油虫は油虫をたべると答う。まじめにこの式を行えば油虫また生ぜずという。旧信者はこんな式で虫を駆除するは宜《よろ》しからず、かかる虫も天から福を齎《もたら》すから家に留むるがよいと考える(一八七二年板ラルストンの『露国民謡』一五五頁)。支那人は大きな牡鼠一疋を捉え小刀でそのキン玉を切り去って放てば、鼠家に満つるも殺し尽す事猫どころでないという(『増補万宝全書』巻六十)。露人もかくのごとく油虫を同士打ちで死に尽さしめ、さてその全滅を歎き悲しむ表意に、親族が死んだ時のごとく髪を乱してかの式を行うのだ。油虫ごとき害虫も家に留むれば福を齎すというはよく考えると一理あり。世界にまるで不用の物なし。多くの菌類や黴菌《ばいきん》は、まことに折角人の骨折って拵えた物を腐らせ悪《にく》むべきの甚だしきだが、これらが全くないと物が腐らず、世界が死んだ物で塞《ふさ》がってニッチも三進《さっち》もならず。そこを醗酵変化分解融通せしめて、一方に多く新たに発生する物に養分を供給するから実際一日もなくてならぬ物だ。鼠も昔より国に盗賊家に鼠と嫌われ、清少納言も、穢《きた》なげなる物、鼠の住家《すみか》、つとめて手|晩《おそ》く洗う人、『尤《もっとも》の草子《そうし》』に悪《にく》き者、物をかじる鼠、花を散らす鳥
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