と聞いて大いに怒り、宮宰をして内官一同を召集せしめ、アをしてアを呼んだ者を指摘せしめんとした。アそれには及ばずとて竈辺《かまどへん》の木炭片を採り、その人の肖顔《にがお》を壁に画く。その画成らざるに早王はその誰たるを認めたという。似た例は東洋にもあり。百済河成宮中である人に従者を呼んでくれと頼んだに顔を見知らずと辞す。すなわち一紙を取り従者の顔を画き示すとその人これを尋ね当てた。支那の戴文進金陵に至るに、荷持ち男、その行李《こうり》を負い去りて見えず。すなわち酒屋で紙筆を借り、その貌《かお》を図し、立ちん坊連に示すと誰某と判り、その者の家に尋ねて行李を得たそうだ(『郷土研究』一巻九号、拙文「今昔物語の研究」)。
 アペルレースの諸画中もっとも讃えられたは嬌女神アフロジテーが海より現じた処で、その髪より搾《しぼ》り落す水滴が銀色の軽羅《けいら》様にその体に掛かる。実に何とも言われぬ妙作だった。コスのアスクレーピオス医聖の廟《びょう》に掲ぐるための作で、百タレンツ今の約二十万円を値《あたい》した。アペルレースの人となり至って温良故、アレキサンダー王の殊寵を得た。王かつて勅して自分の画像をア
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