かの歌は、その守りなるべし、あくまたちは赤斑《あかまだら》なるべく、山なし姫は山立ち姫なるべし、野猪をいうとなん、野猪は蛇を好んで食う、殊に蝮を好む由なり」とある。
 予在米の頃、ペンシルヴァニア州の何処《どこ》かに、蛇多きを平らげんため欧州から野猪を多く移し放った。右の歌を解するに、強《あなが》ちにアクマタチを赤斑、山なしを山立と説くを要せず。蛇を悪魔とするは耶蘇《ヤソ》教説その他例多し。山梨の事は「猴の民俗と伝説」に載せて置いた。野猪山梨の実を好んで山梨姫と呼ばれたものか、更に分らぬが歌の意は、山梨のなしに対してありすなわち蛇がここにありと告げて食わせるぞと蛇を脅かしたので、梨をアリノミともいうに因る。一八九〇年八月二十八日の『ユニヴァシチー・コレスポンデント』に仏人カルメットの蛇毒試験の報告出で、その中に家猪は蛇咬の毒を感ぜぬが、その血を人間に注射しても蛇毒予防の効なしとあったから見れば、家猪の根原種たる野猪は無論毒蛇に平左衛門であろう。さて、羽柴氏が越後で聞いた歌は、まずは『萩原随筆』のと『四神地名録』のとを折中したようだ。蕨の茎葉で蝮に咬まれた創口《きずぐち》を撫でてかの歌を
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