のを形容してブタブタという語も当時既にあったらしく思わる。橘南谿《たちばななんけい》の『西遊記《さいゆうき》』五に広島の町に家猪多し、形牛の小さきがごとく、肥え膨れて色黒く、毛|禿《は》げて不束《ふつつか》なるものなり、京などに犬のあるごとく、家々町々の軒下に多し、他国にては珍しき物なり、長崎にもあれども少なし、これはかの地食物の用にする故に多からずと覚ゆ云々と記し、『重訂本草綱目啓蒙』四六には、長崎には異邦の人多く来る故に豕を畜《か》い置いて売るという。東都には畜う者多し。京には稀なりという。かくたまたま豚を多く飼う所もあったけれど、徳川氏の代を通じてわが邦に普遍せなんだ物で、明治四年頃和歌山市にただ一ヶ所豚飼う屋敷あったを、幼少の吾輩毎日見に往ったほどである。
 猪に関する伝説を書くに当り、この篇の発端に因《ちな》んで野猪と蝮蛇の話を述べよう。けだし野猪に限らず猪の類は、皆蛇を食う(アリストテレスの『動物史』九巻二章。プリニウスの『博物志』九巻一一五章)。ところが日本では家猪が久しく中絶と来たから、専ら野猪のみ蛇を制するよう心得たのだ。『集古』庚申五号に、故羽柴古番氏が越後国南蒲原
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