と命じた。さて妻が子に食を与え隣家へ舂《うす》つきに往くとて、子を伴れ行くを忘れた。子の口が酥酪《そらく》で香《にお》うを嗅《か》ぎ付けて、毒蛇来り殺しに掛かる。那倶羅の子我父母不在なるに蛇我弟を殺さんとするは忍ぶべからずと惟《おも》い、毒蛇を断って七つに分ち、その血を口に塗り門に立ちて父母に示し喜ばさんと待ちいた。婆羅門帰ってその妻家外にあるを見、予《かね》て訓《おし》え置いたに何故子を伴れて出ぬぞと恚《いか》る。門に入らんとして那倶羅子の唇に血着いたのを見、さてはこの物我らの不在に我児を※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]い殺したと合点し、やにわに杖で打ち殺し、門を入ればその児庭に坐し指を味おうて戯れおり、側に毒蛇七つに裂かれいる。この那倶羅子我児を救いしを我善く観《み》ずに殺したと悔恨無涯で地に倒れた。時に空中に天あり偈《げ》を説いていわく、〈宜しく審諦に観察すべし、卒なる威怒を行うなかれ、善友恩愛離れ、枉害《おうがい》信に傷苦〉と。那倶羅(ナクラ)は先年ハブ蛇退治のため琉球へ輸入された英語でモングースてふイタチ様の獣で、蛇を見れば神速に働いて逃さずこれを殺す。その行動獣類よりも至ってトカゲに類す(ウッドの『博物図譜』一)。従って音訳に虫の字を副《そ》えて那倶羅虫としたのだ。『善信経』には黒頭虫と訳し居る。
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さきに昔|播磨《はりま》国で主人を救うた犬のために寺を建てた話を出したが、その後《のち》外国にも同例あるを見出したから述べよう。十四世紀にロクス尊者幼くして信念厚く苦行絶倫で神異なり。十二歳の時父を喪い遺産を挙げて貧人に施し、黒死病大流行に及び、イタリアに入ってローマ等の病院で祈祷また単に手を触るるのみで数千万人を救うたが、因業は聖者も免れ得ぬものでついに自ら黒死病に罹《かか》り、ピアチェンズアの町から逐《お》い出され林中に死に瀕す。その時貴人ゴタルズスの犬日々主家の麪包《パン》を啣《くわ》え来ってこれを養い、またその患所を舐《ねぶ》り慰めた。主人怪しんで犬の跡を付け行きこの事を見て感心し、種々力を尽してついに尊者を元の身に直した。それから尊者生まれ故郷仏国のモンペリエへ帰り国事探偵と疑われ、一三二七年八月十日牢死した。生前黒死病人この尊者の名を呼べば必ず愈《なお》ると上帝の免許あったというので、仏・伊・独・白・西・諸国にこれ
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