、他の一鶏を妻に与えて、子に向い、一つは余、今一つは汝の母の分とする。第三番めの鶏は汝の論理の手際で汝自ら取って食え、と言ったので、子は夜食せずに済ませた。だから鈍才の者に理窟を習わすは、大いに愚な事と知るべしと出《い》づ。先頃手に鶏を縛るの力もないくせに、一廉《ひとかど》労働者の先覚顔して、煽動した因果|覿面《てきめん》、ちょっとした窓の修繕や半里足らずの人力車を頼んでも、不道理極まる高い賃を要求されて始めて驚き、自ら修繕し、自ら牽き走ろうにも力足らず、労働者どもがそんなに威張り出したも誰のおかげだ、義理知らずめと詈っても取り合ってくれず、身から出た銹《さび》と自分を恨んで、ひもじく月を眺め、膝栗毛《ひざくりげ》を疲らせた者少なくなかったは、右の富人の愚息そのままだ。かく似て非なる者を、仏経には烏骨鶏《うこっけい》に比した。
 六群|比丘《びく》とて仏弟子ながら、毎《いつ》も戒律を破る六人の僧あり。質帝隷居士、百味の食を作り、清僧を請じ、余り物もてこの六比丘を請ぜしに、油と塩で熬《に》た魚をくれぬが不足だ。それをくれたら施主が好《よ》き名誉を得ると言うた。居士曰く、過去世に群鶏林中に
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