たその子が息災で生きいた。これ全くサンチアゴ大尊者の霊験、世は澆季《ぎょうき》に及ぶといえどもと、お定まりの文句で衆人驚嘆せざるなし。所の監督食事中この報に接し、更に信ぜず。確かに死んだあの青年が活き居るなら、ここにある鶏の焼き鳥も動き出すはずと、言いおわらざるに、その鶏たちまち羽生え時を作り、皿より飛び出で遁《に》げ去った。やがて宿主の娘は刑せられ、この霊験の故に鶏を神使と崇《あが》め、サンドミンゴの家々今に鶏毛もて飾らるという事じゃ(グベルナチスの『動物譚原』二巻二八三頁。参取。『大英百科全書』一五巻一三五頁。二四巻一九二頁)。
サウシーの『随得手録』三輯記する所はやや異なるなり。いわくサンドミンゴ・デラ・カルザダで一女巡礼男に据え膳を拒まれた意趣返しに、その手荷物中に銀の什器《じゅうき》を入れ窃盗と誣告《ぶこく》す。その手荷物を検するに果して銀器あり。因って絞殺に処せられ、屍を絞架上に釣り下げ置かる。かの男の父、その子の成り行きを知らず、商いしてここへ来ると、絞台上から子が父を呼び留め、仔細を語り、直ちにその冤を奉行に報ぜしむ。奉行ちょうど膳に向い、鶏、一番《ひとつが》いを味わ
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